号泣する準備はできていた (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2006年6月28日発売)
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本棚登録 : 14101
感想 : 900
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長い人生を生きていると、色んな瞬間に出会います。嬉しい瞬間、悲しい瞬間、そして憤りを抑えられない瞬間と、一日の中でさえ、私たちの感情は大きく揺れ動いていきます。

『あー、幸福だ。ずーっとこのままならいいのに』

という”瞬間”があれば、

『もうゆめのようではなかった。かなしみだけがそこにはあった』

と堕ちていく、そんなことの繰り返しが私たちの人生です。しかし、その”瞬間”、その”瞬間”に心が動かされることであっても、長い目で見てみると、それらは平板、平坦、そして平穏な日常の中に均されてしまいます。『この一年、ほんとうはいろいろなことがあった』と、色んなことが起こる私たちの日常は振り返ってみれば様々な事ごとの積み重ねの上に成り立っています。それは逆から見れば『この一年どうしてた、と訊かれても、簡潔にこたえることはできない。あるいは、こたえたくなんかない』というものでもあると思います。

数多の小説はそんな人生の中で印象的な、何か大きな出来事があった”瞬間”を切り取っていきます。そこには起承転結のドラマが生まれ、『号泣する準備はできていた』読者に、止めどもない涙を流させるものも多々あります。しかし、小説は必ずしも涙を流すために読むものではありません。また、実際の人生というものはドラマティックな出来事だけが全てではありません。それよりも、日常の中のふとした”瞬間”の気持ち、そんな中にこそ、ハッとした思い、大切な思いが存在する、そういったこともあるのだと思います。

この作品は『号泣する準備はできていた』読者に『号泣』はさせずに、人が人生の中で見せるあんな”瞬間”、こんな”瞬間”の感情を淡々と切り取って見せる物語です。

『その夏、私は十七になったばかりだった』と過去を振り返るのは主人公の真由美。『七つ歳上の兄と四つ歳上の姉』が『大人の度肝を抜くようなこと』を『先にやってしまった』ので『残っているのはじゃこじゃこのビスケットみたいなものばかり』と思う真由美。『削ったココナッツだの砕いたアーモンドだの、干した果物のかけらだのが入ったビスケット』を母親がそのように呼ぶという真由美の家庭は兄も姉も家を出て行き三人暮らし。ただ、『家の中には、両親と私の他に、シナ』という『口も耳もひどく臭』う十五歳でよぼよぼの『メスのスコッチテリヤ』が飼われていました。一方『精肉店の息子で、小学校のときの同級生』である河村寛人と仲良くしてきた真由美は『ねえ、どこかに行こうよ』と『午後遅く、商店街の一角で彼の揚げるコロッケを買い、その場でかじりながら』誘います。『構わないけど、どこへ行くの?』と訊く寛人に『ドライブがいい。お父さんの車、借りられるんでしょう?』と返すも免許を持たない寛人は『無理だよ。免許のある人と一緒でなきゃ』と拒みます。寛人が『ときどき店のクルマを運転していた』ことを知っている真由美は『平気よ。アクセルを踏めば自動的に動いて、ブレーキを踏めば自動的に止るんでしょ』とけしかけます。『私は河村寛人に対してだけ、強気の物言いができた』という真由美。そして、『約束どおり午前八時に迎えに来てくれた』寛人。そんな真由美は『ドライブにシナを連れていくことを思いつ』きます。そして『磨き上げたみたいな、まぶしくて青い空』の下、ドライブへと出発した二人。しかし『エアコンがついていない』車内は『ともかく暑かったし、車の中は妙な匂いがした』という酷い状況。『コロッケを揚げているときみたいに汗ばんだ赤い顔をし』た寛人は『いまの標識はどういう意味かな』、『いまのパッシングかな』と『始終気に』する最悪の状況。一方の『シナは車に酔い、後部座席で二度吐』き、さらには『車内の温度はどんどん上がり』、お弁当の匂いが充満する車内。そんな最悪の状況の中、海へと到着した二人。そして、『目的地の海についた』という真由美がそこで感じた気持ちが描かれていくこの短編〈じゃこじゃこのビスケット〉。印象的なタイトルをかつての自身に重ね、そんな過去を大切に振り返る真由美の”なるほどね”という心持ちが上手く描かれた好編でした。

220ページほどの文庫本の中に12もの短編が収録されたこの作品は、第130回直木賞を受賞しています。『短篇集、といっても様々なお菓子の詰め合わされた箱のようなものではなく、ひと袋のドロップという感じです』と語る江國香織さん。『色や味は違っていても、成分はおなじで、大きさもまるさもだいたいおなじ、という風なつもりです』と続ける江國さんの描く12の短編はまさしくこの言葉が表している通り、舞台設定や主人公の人となりは全くバラバラです。何編かをご紹介したいと思います。
〈前進、もしくは前進のように思われるもの〉: 『学生時代に世話になったホームステイ先の娘が、夏休みを利用して日本に遊びに来る』という状況の中、母親が飼っていた『猫を捨ててしまった』と言い出した夫。『猫より人間の生活の方が大事だろう』と言う夫。モヤモヤした思いの中、空港へと娘を出迎えに行く主人公の前に予想外な人物が現れます。ポイントは、そのまさかの展開の瞬間に主人公が感じた気持ちです。
〈熱帯夜〉: 『出会って三年、一緒に暮らし始めて一年』という二人。『私は秋美を、秋美は私を、たぶん自分以上に愛している』という二人。しかし『どんなに愛し合っていても、これ以上前に進むことはできない』、『私たち行き止まりにいる』と感じる二人はビールを飲みつつ、夜道を歩きます。『ずーっとこのままならいいのに』と思う二人。ポイントは、『行き止まり』を感じつつも『あー幸福だ』と感じながら夜道を歩く二人の今感じている気持ちです。
〈溝〉: 『離婚の話は、きょうはまだなしよ』と念押しする妻は夫の実家へと二人で赴きます。『裕樹には悪いんだけど、私はあの人たちがほんとうに苦手なのよ』と言う妻は『あなたの家にいると、自分の居る場所がないように感じるの』と続けます。そして自宅へと帰ってきた二人。そんな中『私、きょうあなたに贈り物があるの』と言い、車のトランクから予想外のものを取り出します。まさかのその物体を茫然と見つめる夫。ポイントは、『誰かの抜け殻』に感じるその贈り物を見やる夫が感じる気持ちです。

以上、さてさて流の抜き出し含め四編を簡単にご紹介させていただきましたが、それぞれ20ページ程度の短編ばかりであり、特徴としては、
・何も起こらない
・起承転結がない
・オチがない
という点が共通しています。上記の紹介では一見オチがありそうにも思えますが、実際には極めて平板、平坦、そして平穏な描写が連続します。ブクログのレビューや他のサイトのレビューを見てもこの点で酷評されているものがとても多い印象を受けます。この原因は、
・興味をそそられるドラマティックなまでの書名
・直木賞受賞作という肩書き
という点にあるのかなあと思います。実のところ私もこの書名を見て、涙、涙の結末が展開するドラマティックな作品かと思ったのが事実です。しかし、
・この作品では泣けません
というのが実際です。正直なところ12の短編にはそういった要素は皆無です。なんともミスリードを招く書名と直木賞受賞作という変な期待感が先行するこの作品ですが、私は思った以上に、良い作品だと感じました。そう感じることができた理由は以下にあると思います。
・事前に様々なレビューを読みまくり、この作品の酷評点を叩き込んだ
・この作品を楽しむ”ポイント”を理解した上で、何がそれに当たるかを探究しながら読んだ
という二点です。これからこの作品を読もうとされる方にはこの二点を意識されることをお勧めしたいと思います。最初の”酷評”に関しては、バッサリ!という感じで皆さんが書かれていらっしゃいますので、読む前に是非目を通されることをお勧めします。特にAmazonのレビューは辛辣です。また、この作品にはオチがないため、ネタバレという概念がありません。作品を楽しむためにも、積極的にすでに読まれた方のレビューに目を通しましょう。正直なところ、あまりのケチョンケチョンぶりに、そこまで酷評されるものかなあ、という印象を受け、逆に私の中では評価が上がってしまいました。特に『私は独身女のように自由で、既婚女のように孤独だ』とか、『でも私は赦されたことが赦せなかった』とか、そして『私の心臓はあのとき一部分はっきり死んだと思う。さびしさのあまりねじ切れて』と言った江國さんならではの巧みな表現が頻出するのも魅力です。そして後段は上記のご紹介で記した”ポイント”という部分です。この作品にはオチがありません。日常の中の一部分を、しかも、えっ、そんな何の変哲もない箇所を切り取るの?といった部分を切り取ります。しかし、私たちの日常というものもよくよく考えると、大々的にニュースになるようなことばかりではないと思います。連綿と続く人生の中で緩やかにアップダウンがある、それが私たちの日常です。しかし、人間はそんなある意味平板、平坦、そして平穏な日常の中でも様々な感情を抱きながら生きています。そんな感情の中には、その時ならではというものもあります。この作品はそういった”ある瞬間の感情”に焦点を当てるものです。上記したご紹介の中の”ポイント”がそれに当たります。オチを期待して読み進めるのではなく、登場人物の”ある瞬間の感情”を感じながら、味わいながら読み進める、それがこの作品の魅力を感じるために必要なことではないか、そのように思いました。江國さんがおっしゃる通り『色や味は違っていても、成分はおなじで、大きさもまるさもだいたいおなじ』という中で言わんとされるところがこれによって見えて来る、それがこの作品なんだ、そう考えれば唐突な結末の繰り返しにも納得がいく、そう感じました。

この作品を『かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短篇集』とおっしゃる江國さん。私たちは、長い人生を生きる中で、色んな経験をしながら歳を重ねていきます。そんな歳月は連続する”瞬間”の集まりです。逆に言えば、その”瞬間”、”瞬間”に何かを思い、何かを考えながら私たちは生きています。それらの大半は、実際には記憶の彼方に忘れ去られてしまうものも多いのだと思います。”ある瞬間”に大きな意味を持っていた事ごとも、長い時間の中では均されて平板、平坦、そして平穏な日常の中に埋もれていくからです。そんな中から12の”ある瞬間”に光を当てるこの作品。何も起こらない12の物語が故に、人生とは、と逆に考えてしまう、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 江國香織さん
感想投稿日 : 2021年5月26日
読了日 : 2021年5月12日
本棚登録日 : 2021年5月26日

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