TUGUMI(つぐみ) (中公文庫 よ 25-1)

著者 :
  • 中央公論新社 (1992年3月1日発売)
3.76
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感想 : 1549
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あなたは、『1日1回くらいはむかっと腹立つことがある』でしょうか?

この世に生きている人間は自分だけ…という状況があったなら、腹が立つということ自体ないのではないか?そんな風にも思います。結局のところ、人は他者とのコミュニケーションにおいて腹が立つという感情に苛まれるのではないかと思います。とは言え、そんなことを言ったって、この世を一人で生きていくことなどできはしません。私たちは、腹が立つという感情と共存しながら、それでも人と人のコミュニケーションの中に生きていく他ないのだと思います。

しかし、数多の腹が立つという感情もそれ以上の経験があったなら、全てはそれ以下と見做してしまうこともできそうです。腹が立つこと自体変わりはないにも関わらず相対的にその感情が抑えられてしまう。とは言えそのためには相当に強烈な比較対象が必要になってくると思います。

さてここに、『つぐみに比べたらこのくらい』という思いの先に、腹が立つという感情をやり過ごしていく一人の女性が主人公となる物語があります。『つぐみのせい、いや、おかげだわ』と感謝もする女性を描くこの作品。そんな女性が あの夏の記憶を振り返るこの作品。そしてそれは、『確かにつぐみは、いやな女の子だった』という記憶の中に青春の日々を重ねる物語です。

『漁業と観光で静かに回る故郷の町を離れて、私は東京の大学へ進学した』というのは主人公の白河まりあ。友人たちに『口をそろえて「寛大ね」とか「冷静だ」とか言』われる まりあは『つぐみのせい、いや、おかげだわ』と思います。『人はだれも、1日1回くらいはむかっと腹立つことがある』という中に、『私はいつも、いつの間にか心の奥底で「つぐみに比べたらこのくらい」とまるで念仏のように唱えていることに気づ』きます。そんな まりあは『少女時代をすごした海辺の町に最後の帰省をした』夏を思い出します。『登場する山本屋旅館の人々は、今はもう別の土地に引っ越してしまい、多分2度と私はあの人たちと共に生活することはない』という まりあは『私の心のかえるところは、あの頃 つぐみのいた日々のうちだけに、ある』と思います。
『私と母は、つぐみの家である山本屋旅館の離れに2人で住んでいた』という幼き日々。『私の父親は東京で、長く別居していた妻との離婚を成立させて私の母と正式に結婚するために苦労して』いました。『妹である政子おばさんの嫁ぎ先』である『山本家』には、『旅館を経営する正おじさんと、政子おばさん、そして2人の娘である つぐみと、その姉の陽子ちゃんの4人』が暮らしています。『生まれた時から体がむちゃくちゃ弱くて、あちこちの機能がこわれていた』という娘の つぐみに対して、『医者は短命宣言をしたし、家族も覚悟』しています。そんな中に『まわり中が彼女をちやほやと甘やかし』たことで、『彼女は思い切り開き直った性格になってしま』いました。『意地悪で粗野で口が悪く、わがままで甘ったれでずる賢い』という つぐみ。そんな『つぐみのものすごい人柄の被害を受けた人ベスト3は、政子おばさん、陽子ちゃん、私の順と思』う まりあは一方で、『あの凄まじい意地悪と毒舌にさえ耐えれば、つぐみと遊ぶのは面白かった』という幼き日を過ごしました。『小学校低学年の頃「お化けポストごっこ」という遊びをやったいた』つぐみと まりあ。それは、山のふもとの小学校の裏庭に百葉箱の残骸があり、そこが霊界とつながっていてあっちからの手紙が入っている、という設定』の中、『昼間のうちにそこへ行って雑誌から切り抜いたこわい写真やお話の記事を入れておき、真夜中に2人で取りにい』った つぐみと まりあ。やがて『そんな遊び』も忘れて中学生となりバスケ部に入った まりあは『練習がきつくてあまり つぐみをかまわなくなっ』てしまいます。そんなある雨の日の夜、『おい!目を覚ませ。大変なんだぞ、これを見ろよ』と急に訪れた つぐみは『1枚の紙を取り出し』ます。そこには、『力のこもった行書体の、それはまぎれもなくなつかしい祖父の筆跡』がありました。『いつも私にあてる手紙と同じ書き出しで、「私の宝物 まりあへ さようなら。おばあちゃん、お父さん、お母さんを大切に。聖母の名に恥じぬ立派な女性になっていって下さい。龍造」』と書いてあるその手紙。『どうしたの、これ』と『すごい勢いで』たずねる まりあに『信じるか?これはな、「お化けポスト」にあったんだ』と、『つぐみは真っ赤な唇をふるわせて私をじっと見つめ、真剣な、祈るような声色で言』います。『何ですって?』と『すっかり忘れ果てていたあの百葉箱の記憶がよみがえってきた』という まりあ。そんな まりあが つぐみと過ごしたあの夏の物語が描かれていきます。

“病弱で生意気な美少女 つぐみ。彼女と姉妹のように育った海辺の小さな町に帰省した私は、まだ淡い夜の始まりに、つぐみとともにふるさとの最後のひと夏を過ごす少年に出会った ー”と内容紹介にうたわれるこの作品。今から実に35年前、1989年に刊行され山本周五郎賞も受賞した吉本ばななさんの代表作のひとつです。時はバブルの絶頂期であり、今とは世の中のあり方自体が大きく異なる、それがこの作品が生まれた時代だと思いますが、不思議なくらいに時代を感じさせません。進化の激しいもの、例えば携帯などが登場すると一気に時代感を感じることが多いと思いますが、人の日常、そこにある暮らしというもののベースの部分は時が経ってもあまり大きく変化することはないのかなとも思います。

そんなこの作品は、吉本さんのデビュー作である「キッチン」の翌年に刊行されているということもあってか吉本さんらしい瑞々しい比喩表現に満ち溢れています。特にこの作品の舞台となるのが『海辺の町』ということもあって『海』をさまざまに描写していくところがとても印象的です。少し見てみましょう。まずは美しく『海』が描写される場面です。『夕方、暮れてゆく湾を見通す、浜辺の高い堤防を、つぐみと男の子が歩いてゆく』、そんな先に描かれていく光景です。

 『夕空には鳥がひくく舞い飛び、波音がきらめきながら静かに寄せてくる。走り回る犬しかいなくなった浜は、砂漠のように広く白く横たわり、いくつものボートが風にさらされている。遠くに島影がかすみ、雲がうっすらと赤く輝いて海の彼方へ沈んでゆく』。

どうでしょう。この『海辺の町』がどこなのかは分かりませんが、映画になりそうな美しさを秘めた場面がそこに浮かび上がります。夕陽に染まる雲と白く輝く砂浜、そして海という光景、これには一瞬にして魅せられてしまいます。では、そんな『海』を定義する二つの表現もご紹介します。

 『海とは不思議なもので、2人で海に向かっていると黙っていても、しゃべっても、なぜかどっちでもかまわなくなってしまう。見あきることは決してない。波音も、海の表面も、たとえどんなに荒れていても決してうるさくは感じない』。

これは、まさしくそうだと思います。その理由は分かりませんし、恐らく考えることに意味もないのだと思いますが、そんなことを考えることが馬鹿馬鹿しく感じさえする、それが『海』、そして、その偉大さなのかなと思います。もうひとつは、そんな『海』をある意味擬人化する表現です。

 『海は、見ているものがことさらに感情を移入しなくても、きちんと何かを教えてくれるように思えた』。

『海』というもの自体が実際に何かしてくれるわけでは当然ありませんが、その存在の大きさが故に、『海』と対峙する私たち人間がそこに意味を見出していく、そんな瞬間の表現です。吉本さんは〈あとがき〉で”10年以上、同じ場所、同じ宿に通っている”という”西伊豆”、”私にとって故郷のようなもの”の存在を記されていらっしゃいます。そう、この作品はそんな吉本さんが『海』と対峙したその先に生まれたものであり、『海』がこの作品を生んだとも言えると思います。そういう意味でもこの作品を語る時、『海』の存在は欠かせないと思いました。

そして、次は「TUGUMI」と書名にもなった 主人公・まりあの友人・つぐみについて触れたいと思います。つぐみとはこんな女性です。

 ● 『つぐみ』について
  ・家族: 『山本屋旅館を経営する正おじさんと、政子おばさん、そして2人の娘である つぐみと、その姉の陽子ちゃんの4人』
  ・容姿:
   『黒く長い髪、透明に白い肌、ひとえの大きな、大きな瞳にはびっしりと長いまつ毛がはえていて、伏し目にすると淡い影を落とす』。
   『血管の浮くような細い腕や足はすらりと長く、全身がきゅっと小さく、彼女はまるで神様が美しくこしらえた人形のよう』
  ・頭脳: 『頭が良く勉強家で、病欠のわりにはたいてい成績は上位だったし、あらゆる分野の本を読みあさっていて知識が深かった』。
  ・健康: 『生まれた時から体がむちゃくちゃ弱くて、あちこちの機能がこわれて』おり『医者は短命宣言をしたし、家族も覚悟』していた
  ・性格: 『思い切り開き直った性格』、『意地悪で粗野で口が悪く、わがままで甘ったれでずる賢い。人のいちばんいやがることを絶妙のタイミングと的確な描写でずけずけ言う時の勝ち誇った様は、まるで悪魔のよう』
  ・生活圏: 『病院へ通う以外、この町からほとんど出ずに育った』
  ・異性との関わり: 『中学の頃からずっと、よくつぐみは学友の男性をたぶらかしては寄り添って浜を散歩していた』。

いかがでしょうか?イメージがどことなくお分かりいただけるかと思います。そんな物語は、書名にもなりこれだけ詳細な情報が描写されるにも関わらず、つぐみは主人公ではなく、視点も移動しない中に展開していきます。この作品は〈お化けのポスト〉、〈春と山本家の姉妹〉…〈つぐみからの手紙〉という12の章から構成されていますが、全編にわたって主人公を務めるのは白河まりあです。『確かに つぐみは、いやな女の子だった』と始まる作品冒頭に、『私は白河まりあ。聖母の名を持つ』と語る まりあ。

 『この物語は私が、少女時代をすごした海辺の町に最後の帰省をした時の夏の思い出だ』。

そんな風に前提を説明した先に展開していく物語は、まりあの記憶に残る青春の思い出でもあります。

 “二度とかえらない少女たちの輝かしい季節。光みちた夏の恋の物語”

内容紹介には、そんな風にこの作品が補足もされていますが、それは、主人公・まりあの記憶の中に つぐみの記憶が如何に深く刻まれているかを表してもいます。まりあ視点で見る つぐみを幾つか抜き出しておきましょう。

 ・『つぐみには誰よりも深く、宇宙に届くほどの燃えるような強い魂があるのに、肉体は極端にそれを制限しているのだ』。

 ・『つぐみが本気で怒った時、彼女はすうっと冷えてゆくように見える』。

 ・『つぐみはただそこにいるだけで、何か大きなものとつながっているのだ』。

『つぐみのものすごい人柄の被害を受けた人ベスト3』に自身が入るという認識の中に彼女との日々を過ごした まりあ。そんな まりあの視点を通して私たちは つぐみのことを見ます。私たちが直接 つぐみの本当のところを知ることはできません。あくまでそれは、まりあというフィルターを通して見るものです。そこには、『被害を受けた人ベスト3』とは言いつつ、そんな強烈な存在である つぐみのことを強く意識する まりあの存在が浮かび上がります。

私たちは誰もが青春を駆け抜けていきます。あとから振り返ってみればどうと言うことのないことであっても、その時代を駆け抜けていく中にはそれらは全てが一つの事件であり、そんな事ごと一つひとつに真摯に対峙してきたと思います。だからこそ、時が経ってそんな時代を振り返る中にそれらがキラキラと輝きだすのだと思います。この作品では、『海辺の町』の美しい光景が まりあの心の中に強く印象づいていることが分かります。そして、そんな光景以上に、共に同じ場所で青春を駆け抜けた つぐみという存在、強烈な存在として眩い光を放つ存在であるが故に、まりあの心の中にいつまでも深く刻まれる存在として残り続けているのだと思いました。

 『確かにつぐみは、いやな女の子だった』。

幼き日に『海辺の町』で過ごした主人公の まりあ。そんな まりあがいつまでも忘れられない つぐみの記憶を物語として語っていくこの作品。そこには、”二度とかえらない少女たちの輝かしい季節”が まりあの語りの中に描かれていました。美しい『海』の描写に強く魅せられるこの作品。それ以上に つぐみというインパクト最大級の女の子の強烈さに魅せられるこの作品。

『つぐみは私です。この性格の悪さ、そうとしか思えません』と〈あとがき〉で語る吉本さん。そんな吉本さんの瑞々しい描写にどこまでも魅せられる、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 吉本ばななさん
感想投稿日 : 2024年2月17日
読了日 : 2023年11月4日
本棚登録日 : 2024年2月17日

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コメント 2件

うたえながさんのコメント
2024/02/17

初コメです(^o^)
すごく面白そうですね!今度読んでみます!

さてさてさんのコメント
2024/02/17

うたえながさん、こんにちは!
初コメありがとうございます。
35年も前の作品ですが、古っぽさはあまり感じなかったです。吉本ばななさんというとこの作品と、「キッチン」だと思いますので
是非どうぞ!

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