神去なあなあ日常 (徳間文庫)

著者 :
  • 徳間書店 (2012年9月7日発売)
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延期されたオリンピック、その夢の舞台を開く場所。2019年12月21日、竣工したばかりの新国立競技場では、嵐やドリカムも熱唱した3時間にもわたるオープニングセレモニーが開催されました。その新国立競技場のデザインコンセプトが『杜のスタジアム』。47の全ての都道府県から取り寄せたスギやカラマツによって『木のぬくもりが感じられるスタジアム』を実現した新しい日本の誇り。私たちにぬくもりを感じさせてくれる木材。でも、その生産現場は深刻です。半世紀前には50万人もいたとされる林業従事者。それが直近のデータでは、10分の1以下まで減少してしまっている現実があります。そして、それに追い討ちをかけるように未だ毎年40名もの方が、転落したり、伐木に追突されたりして亡くなられているという過酷な現実もあります。国土の67%を森林が占める日本。その森林を守ってくださる人々。この作品ではそんな人々のリアルな生き様に光が当たっていきます。

『住人には、わりとおっとりしたひとが多い』という神去村。『三重県中西部、奈良との県境近くにあるので、住人は基本的に西のアクセントでしゃべる』という山村に、高校を卒業してすぐに赴くことになった主人公・平野勇気。『高校を出たら、まあ適当にフリーターで食っていこうと思っていた』のが、担任の熊やんと母親の連携により、林業研修生に勝手に申し込まれ、『着替えや身のまわりの品は、神去村に送っておいたから。みなさんの言うことをよく聞いて、頑張るのよ』と3万円の餞別と共に送り出された勇気。そんな彼の前には今まで経験したことのない大自然と共に生きる山村での生活が待っていました。

『チェーンソーの扱いを練習しつづけたせいで腰が痛く、掌にはマメができていた。全身筋肉痛で、がに股でしか歩けない』という村での辛い日々。『圏外。信じらんねえ。ほんとに日本か』と携帯も使えない村の環境に耐えられず、なんとか逃亡を図ろうする勇気。でも『俺は車の免許を持っていない。徒歩で神去から脱出するのは難しい。ヒッチハイクで駅まで連れて行ってもらいたくても、村人には面が割れている』という現実を前に、この村で生きていく他ないという気持ちが生まれていきます。そして、夜になると何もすることがなくなってしまう日常。そんな中で勇気は自身を見つめる時間を持ち『悔しさも腹立たしさも、情けない自分から目をそらすために生まれてきた感情だ』と自分の不甲斐なさを感じつつも現実に向き合っていきます。

とても印象深い『なあなあ』という言葉がつけられたこの作品。『なあなあ』とは、『ゆっくり行こう』『まあ落ち着け』というようなニュアンスの言葉だそうです。勇気の生まれ育ったのは横浜。神去とは言葉だけでなく、生活のスピード感も全く異なります。あんなに使っていた携帯も圏外では、ただの文鎮に過ぎません。雑誌も洋服も満足に売っていないことに戸惑っていた勇気も『ないならないで、「まあいっか」って気持ちになる』と感覚も神去に馴染んでいきます。それどころか『たとえ夏休みがあったとしても、帰るつもりはなかった。一時だって、神去村から離れたくない。毎日、退屈する暇もなく生命力を増していく村の風景を、なにひとつ見逃したくない』と、神去の魅力にすっかり取り憑かれたかのように神去の人になっていきました。

一方で、神去で生まれ育ったものの『山仕事なんていやだ』と村を後にする若者もいます。小さい頃から、林業に携わる親の姿を間近に見てきた彼らのこの判断を、それを知らない人間が一方的に責めるわけにはいかないと思います。でも、国土の67%を占める森林を、たった5万人にも満たない人々が守ってくださっているという現実がこの国にはあります。それ故に、三浦さんがこの作品で、大切だけれどほとんど知られていない『林業』という仕事に携わる人々の日常に、丁寧に光を当ててくださったのはとても意義のあることだと思いました。

神去山に守られながら自然と対峙し、自然を利用し、自然を守っていく。自然と共に生き、そこで子を産み、育て、次の世代に引き継いでいく。日本の山はそうやって守られてきたという歴史がそこにはあります。

変化の大きい山の四季。自然の力強さと、それにも負けない人々の力強さ。山の持つ不思議な魅力と神秘さ、人の持つ不思議な魅力と温かさ。ゆったりとした悠久の時の流れの中に生きるからこそ見えてくるものがある、自然の中に生かされていると気づくからこそ聞こえてくる音がある。

文字が巨木を倒し、文字が森を鳴らし、文字が山を駆け降りる圧巻のオオヤマヅミさんの大祭の描写含め、とても夢中になり、とても惹きつけられ、とても胸が熱くなった素晴らしい作品でした。感動しました。
どうもありがとうございました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 三浦しをんさん
感想投稿日 : 2020年4月11日
読了日 : 2020年4月10日
本棚登録日 : 2020年4月11日

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