植物図鑑 (幻冬舎文庫)

著者 :
  • 幻冬舎 (2013年1月11日発売)
4.10
  • (2906)
  • (2584)
  • (1386)
  • (278)
  • (69)
本棚登録 : 29575
感想 : 2118
4

『雑草という名の草はない。草にはすべて名前があります。ーby 昭和天皇。というのは先日イツキに教えられた豆知識だが、確かに雑草と一くくりにしてしまうと面白くも何ともないのに、名前がつくと急に面白くなる』

私は物心ついた時から星空が好きで、”天文少年”と呼ばれた時代があります。赤、オレンジ、白、青白…、野原に色んな色の花々が咲き乱れるように、街の明かりの影響を受けない場所に行くと、夜空にも色んな色の星々が輝いていることに気づきます。そんな星々に名前がついていることを知った時、そしてその幾つかの星々を繋いでいくと”星座”というものが夜空に描けることを知った時、そんな星たちの世界が一気に身近なものになったことをよく覚えています。あれは”オリオン座”で、その下が”うさぎ座”で…。”名前”を知ることでそれらが一気に身近な存在となり、再び出会った時も、”はじめまして”、ではない再会の感情を持って接することができます。そう、我々の日常には”名前”が溢れています。我々は”名前”がついていないのであれば、それを付けたいと願い、名前があるのであれば、それを知りたいと願います。それは、日本全国、あなたが毎日歩く道路の左右に生えている”雑草”だって同じです。あなたが目にする”雑草”にはすべて名前が付いています。そんな”雑草”の名前を知った時、”雑草”が”雑草”でなくなる瞬間が訪れます。さて、ここに一人の女性がいます。”雑草”を”雑草”だとしか思ってこなかったその女性。この作品はそんな女性が一人の男性と出会ったことで”雑草”の名前を知り、”もう♡キュン♡キュン♡しまくり!”な恋の物語の主人公となっていく物語です。

『上司のお供で外回りだったその日は、アスファルトに濃い影の落ちる真夏日だった』というのは主人公の河野さやか。道の脇のフェンスに『つる草がびっしりと絡みついて』いるのを見て『ほう!なかなか見事なものだな。地主が植えたのかな?』と足を止める部長。『やだ部長。あれは雑草ですよ』と返す さやかは『「雑草という名の草はない。すべての草には名前がある」と昭和天皇は仰ったそうですけどね』と続けます。そして『和名はヘクソカズラといいます』と言うと『屁糞…!』と驚く部長。『はい。つるや葉をちぎると名前のとおりの悪臭がしますよ』と続ける さやかは呆気にとられている部長に気づきます。『君のような若いうららかな女性から凄まじい単語がさらっと出てきて驚い』たと言う部長に『バカ、あたし!仮にも男性の前で!ヘクソカズラとか口走るのって女としてどうよ⁉︎』と失言してしまったことを焦ります。そして、『イツキ!あんたのせいだ!』と、『植物の名前をあれこれ』教えてくれた男の名前を出し、ため息をつきながら『別れたとも言い切れないんだよなぁ。あの男は。何しろ ー いきなり消えたまま行方が分からないんだから』と、『あの男』のことを思い出します。『出会ったのはまだまだ夜が凍りつく、冬終わりかけの休日前夜』という夜、『ほろ酔い加減で帰り道』にマンションの『ポーチの植込み』でゴミ袋を見つけた さやか。近寄って見てみると『遠目にゴミ袋と見えたものは人間だった』という衝撃。『リュックを背中に植込みの中で丸くなって転がってい』たその男。『お腹が空いてこれ以上一歩も動けません。手持ちの現金遣い果たして無一文です』と『ぽんとさやかの膝に丸めた手を載せ』、『お嬢さん、よかったら俺を拾ってくれませんか』という男の姿を『まるで犬のお手みたい』とツボに入った さやか。『咬みません!躾のできたよい子です』と言う言葉がさらにツボに入った さやかは、結局、彼を自室へと招き入れます。そして、『カップラーメン』を差し出し、風呂を案内した後、酔いも手伝って眠ってしまった さやか。翌朝、まさかの『鼻をくすぐったのは味噌汁の匂い』に目覚め、イツキの作ってくれた朝食に満たされる さやか。『どこか行く当てあるの?もし、行く先ないんなら ー ここにいない?』と言う さやか。『あたし、家事って苦手だし、あなたが家にいてその辺やってくれたら同居のメリット充分ある』と続けます。そして、根負けした男は『イツキ。樹木の樹って書いてイツキって読むんだ』と名乗ります。『苗字キライだから言わない。…じゃ駄目』という イツキ。まさかの出会いから、一夜にして、二人の奇妙な同居生活が始まりました。

マンションの『ポーチの植込み』から男性を”拾う”という現実世界ではとてもありえない起点から始まるこの作品。今のご時世を考えると、これはどれだけ平和な時代の話なんだろう?と、どうしても引っ掛かりを感じざるをえません。流石の さやかも『実家の親が聞いたら目を怒らせるだろう。素性も知れない男を部屋に上げたなど』と感じていますし、イツキにしても『自分の性別に自覚は?若い女性からの提案としてはかなり大胆だと思う』と主張するのはあまりに自然な感覚です。そんなイツキは『俺は君を布団に入れるとき、それなりに理性が必要だった』とも語り、『俺、一応男だよ』と念押しするのは当然と言えます。それを家事のことなどを挙げて、自分には『同居のメリット』があると話を進める さやかの主張に、そうだよね、当然だよね、と単純に同意できる女性は流石にそう多くはいないのではないか?と思います。そんな物語の展開について『裏コンセプトはリアル落ち物女の子バージョン』と有川さんは語ります。『天空の城ラピュタ』を例に出し、『男の子の前に美少女が落ちてくるなら女の子の前にもイケメンが落ちてきて何が悪い!』と力説する有川さん。この設定については、もうこれはある種のファンタジーとでも割り切って素直に受け入れて作品世界に入っていくのが吉である、とまずは感じました。

一方で、読み進めれば進めるほどに、そんな主人公の さやかなら、これはすべてありかもしれないという物語が展開していきます。それは、この作品が”もう♡キュン♡キュン♡しまくり!”という表現そのもの、まさしくピュアな物語だからです。中でも絶妙な描写だと思ったのが次のシーンです。イツキが冷たい川の水で手を洗って戻ってきたというそのシーン。ハンカチを持っていないイツキに自分のハンカチを差し出す さやか。『お、サンキュ』と受け取り手を拭って返します。『風にさらされた手は痛々しいほどに赤い』とイツキの手を見る さやか。『イツキの両手を包み込むように握り、冷え切った手に息を吐きかけていた』という咄嗟の行動をとる さやか。『冷たい肌を温めることにより、包んだイツキの両手をあちこちさする。手強いのが指先だ。手の体温はもう取られてしまった』と、その手だけに意識を集中する さやかは、イツキが何も言わないこともあって『やることが大胆になった』という次の瞬間。『えいっ』と『長い指先を重ねたまま顎と鎖骨の間に挟』む さやか。『首元に触れる指で体温を測る。少しはぬるくなったかと思った』時、『…さやか、ごめん。そろそろちょっと動揺しそうなんだけど、俺』と口に出す イツキ。『言われて自分が何をしているか気がつ』く さやかは、『ひゃあっと悲鳴を上げてイツキの両手を突き返』し、『ご、ごめん!冷たそうだったからつい!』と慌てます。そんな さやかは一方で『少しはあたしのこと、異性として意識はしてるのかな』と感じ、『一瞬見せたシッポがちょっと嬉しい』と幸せな気持ちに包まれます。そんなさやかは、『土手を上りきってから、「もう少し温めてあげようか? 」』と尋ねます。そして、イツキに『無言で軽く頭を小突かれ』ました…というこのなんとも微笑ましい描写。ブクログのレビューでも、この作品を”キュンキュンする”と書かれている方が多数いらっしゃいますが、これはまったくもって同感です。有川さんのこの絶妙な描写に、読者はこれはもう年齢なんて忘れてしまって、”もう♡キュン♡キュン♡しまくり!”と自身の中にこそばゆく感じる素直な感情に従った方が幸せだと思いました。

この作品は2016年に映画化もされていて、実は私、そちらを先に見ました。私、映画のレビューは別サイトに書いているのでブクログにはありませんが、そちらではケチョンケチョンに書いています。映画と本の感想をチャンポンする気はないので本来は映画に触れる気はなかったのですが、この作品の本質を語る上で、逆に映画に触れる方が分かりやすいと思ったので敢えて少しだけ書かせていただきます。そんな映画の不満は「植物図鑑」というタイトルがよくわからないと感じたのと、さやかがイツキを”拾った”ことがどうしても違和感のまま終わってしまったという点でした。しかし、この本を読んで、そんな違和感が全て吹き飛びました。「植物図鑑」という書名の通り、この作品では第三の主人公として『植物』の姿が自然と浮かんできます。それは、章ごとに挿し絵がある、ということ以上に、『道草って楽しい』と元々植物が大好きな有川さんの植物への愛情に満ち溢れた表現、描写が最初から最後まで、これでもか!と続いていくからです。それは、その植生の描写、採取の際の描写、そして『今日のごはんって、お米と調味料以外は一円もお金かかってないんだよね』とイツキと採った『道草』で作る食事の細かい描写など、もう一人の主人公たる存在感を見せつけます。自分で買った植物図鑑を楽しそうに眺める さやかの想いは、植物図鑑の先に見える イツキの姿へと繋がっていきます。そして、上記した手を温める場面など地味ながらもとても微笑ましい描写が連続するこの作品は、いってみれば”雑草”の世界の中に身を置くイメージ。決して人工的な華やかさに彩られた花壇を舞台に展開する話などではなく、河原に人知れず、でもひたむきに力強く生きる、そんな”雑草”が主人公となっていく物語、それがこの作品の本質なんだと思います。映画は、興行の理由もあるでしょうし、視覚に訴えること優先でやむを得ない部分があるのだと思います。本を読んで、映画で派手に演出されたあの場面、この場面が実は映画だけのものであったことにとても驚くとともに、やっぱり…と感じたのが実際のところです。野原の”雑草”と花壇の花々、このあたりのイメージが混在してしまったことで、結果として作品としては違和感が残ったのが映画、それに対して”雑草”に始まり、”雑草”に終わったことで納得感が残ったのが本、こんな感じかな、と思いました。もちろん人によって意見は多々あると思いますが、世界観がぶれないからこそ、ファンタジーがリアルに感じる本の方に私は強い説得力を感じたのは間違いありません。そして、それこそがこの作品の一番の魅力だとも思いました。

『道草を楽しんでください』とおっしゃる有川さん。昭和天皇が仰っしゃられた通り、それぞれに名前のある”雑草”を感じる物語は、社会の片隅にひっそりと、しかし、しっかりと生きる主人公・さやかのイメージそのものでした。そんな さやかが “イツキ”という”気づき”を拾うことから始まる一人の女性の人生の転機を描いた物語。有川さんの目のつけどころの鋭さ、そしてその作品世界の素晴らしさをしみじみと感じた、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 有川浩さん
感想投稿日 : 2020年10月13日
読了日 : 2020年9月29日
本棚登録日 : 2020年10月13日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする