コンビニたそがれ堂 星に願いを (ポプラ文庫ピュアフル)

著者 :
  • ポプラ社 (2010年5月7日発売)
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あなたは、夜空の星に何か”願い事”をしたことがあるでしょうか?

“流れ星に願い事をすると願いが叶う”、そんな言い伝えをよく聞きます。しかし見つけようとして見つけられるものでもない、偶然目にする流れ星に”願い事”をするということ自体、なかなかに高度な行為だとも言えます。そもそも流れ星を見つけた時点で即座に願う何かしらの”願い事”をその人が常に持っている必要もあります。あなたは、常日頃からそんな強い想いのこもった”願い事”を持っているでしょうか?確かに漠然と”○○したい”、”○○になりたい”、そういった思いというものは誰にでもあるように思います。しかし、そんな想いを流れ星が流れ切るまでに反射的に思い起こして願い切れるかというとなかなかにそれは難しいことだと思います。また、そもそもそんなことで”願い事”が叶うはずがない、とクールに言い切る方もいらっしゃるかもしれません。確かに『世界は目に見える通りの世界で、もうすでに、何もかも、計算できたり、論理的に分析とかされてしまってい』て流れ星に”願い事”をするなど荒唐無稽ということも否定できないと思います。そう、『魔法も神様も、奇跡も、この世には、存在しない。それが、「ほんとう」の世界』であるという現実。しかし、本当にそうでしょうか?そんなに簡単に物事を割り切っていくことが正しいと言い切れるものでしょうか?『魔法』、『神様』、そして『奇跡』とはそんな風に簡単に切り捨てて良いものなのでしょうか?

ここに、『見えない流星に』祈ったその先に主人公が偶然にも行き着いた『不思議なコンビニ』を舞台にした物語があります。『心の底から探しているものがあれば、そのひとは必ず、ほしいものをそこで見つけて、買うことができる』というそのコンビニ。それは、”こうしたい”という未来を強く願う主人公たちが、そこに『奇跡』を見る物語。未来を願う先に、自身の過去に未来の手がかりを見る物語です。

「コンビニたそがれ堂」シリーズの第三作目に位置付けられるこの作品。いつもながらに、

『風早の街の 駅前商店街のはずれに
夕暮れどきに行くと
古い路地の 赤い鳥居が並んでいるあたりで
不思議なコンビニを 見つけることがある
といいます
見慣れない 朱色に光る看板には
「たそがれ堂」の文字と 稲穂の紋』

という、もうそれだけでゾクゾクしてしまう決め口上から始まるこの作品は三つの短編から構成されています。それぞれの話に関連はないためどの話から読んでも問題ありませんが、同じ『コンビニたそがれ堂』が登場してもこんなにも描かれる世界は幅広いんだ、この三作目では改めてそんな風に感じる世界が広がっていきます。どのお話も不思議世界に溢れていますが、私のこのシリーズに対するイメージに一番近いのは表題作でもある一編目〈星に願いを〉でした。

『街はまだ、お正月の飾りが残っている、一月三日』に『夜の駅前商店街を、お弁当を探して、歩』くのは、主人公の愛。開いているお店も少なく『これというお弁当箱にであえ』ない愛は『今夜どうしても、お弁当箱がいるのに…』と涙ぐみます。『今日の真夜中までに、大好きなひとのために、とびきりのお弁当をつくりたい』、そして『心をこめたお弁当にするための、とっておきの、お洒落で素敵な、お弁当箱がほしい』と思う愛。『一月三日の夜、しぶんぎ座流星群が、いままさに、この街の空に降りそそ』ぐ中、『お兄ちゃんの家の庭で、真夜中に、愛はお兄ちゃんとふたりで、流星群を見る』という今夜。年に三回ある三大流星群の夜にはいつもそうしてきたという愛。『お兄ちゃんの家は、もうじきに、遠くに引っ越してしまう』ため、『お兄ちゃんの家の庭で流星を見る最後の夜にな』ると思う愛は、いつも星を見ながら食べるためのお弁当を両親の不在もあって自身で作ろうと思い立ちました。『がんばろう。もう、中学生になるんだから』と思う愛は、お兄ちゃんのことを思い浮かべます。『お隣のおうちに住んでいる四歳年上の男の子』というお兄ちゃんとは兄妹のように育ってきたという二人。しかし『お兄ちゃんは愛にとって、童話の中の王子様か、騎士様のような存在』となっていきます。お兄ちゃんが高校生になってあまり会えなくなるも、『会いたいのに、会うと胸が苦しくなる感じ』に襲われる愛は『これって、「初恋」というものなのかな?』と気づきます。友だちに『愛ちゃん。それって、「告白」しないの?好きっていわないと、ずーっとお兄ちゃんと妹のままになっちゃうんじゃない?それでいいの?』と言われた愛。そんな時お兄ちゃんの引っ越しが決まり『隣の家にいた妹みたいな女の子のことなんか忘れてしまう』と思う愛は『好きですっていったら、忘れないでいてくれるのでは』と考え、『がんばれ、自分。がんばれ、がんばるんだ、愛』と自身を鼓舞します。そして『どこかに一軒くらい』とお店を探す愛は『ひときわ強い風が吹いたような気がし』て目を閉じました。そして、再び顔を上げると、そこには『赤く輝く看板と、一軒のコンビニがありました』。『四角い行灯のようなその明かりには、「コンビニたそがれ堂」の文字と、稲穂のマークが描いてあ』るのを見て、きょとんとする愛。『いらっしゃいませ』と『赤と白の縞々の制服を着て、長く輝く銀色の髪と、金色の瞳をし』た店員が迎えてくれたそのコンビニ。そんなコンビニで、”必要なもの”を手にした愛、そして…というこの短編。小学六年生の愛。お兄ちゃんに対するその強い想いのほどが痛切に伝わってくる、ピュアの極みが描かれるその作品世界は、主人公・愛がほろ苦さを味わいつつも『たくさんの空に流れる星が、今夜だけは特別に奇跡を起こしてくれたのかもしれない』という奇跡を見る中に美しく幕を下ろします。私がイメージする「コンビニたそがれ堂」の世界観のまさしく王道を行くような好編でした。

村山早紀さんの作品というと、兎にも角にも『風早(かざはや)の街』が舞台となります。村山さんの作品を読んだことがない、もしくはこの作品が初めてという方には、そこに描かれる世界にファンタジーを感じるのだと思いますが、すでに村山さんの作品に出会って10冊以上となると、もっと何かが起こって欲しい、もっと奇跡が見たい、そんな感情が読む前から湧き上がります。それほどまでに魅了されるのがこの『風早の街』の世界観です。そんな街の中に『ひっそりとあいているコンビニ』。この作品では三人の主人公がそんなコンビニを訪れることになります。引っ越してしまう隣家のお兄ちゃんにいつまでも『忘れないでいてくれる』ことを願って流星群の降る夜に『告白』を考える小学六年生の愛の奮闘が描かれる〈星に願いを〉。『風早の街』で永らく喫茶店を営む宗一郎。永年連れ添った妻と毎年恒例にしていたコスモス畑を見に行けなかったことを悔い『とっておきのプレゼント』を探す様が描かれる〈喫茶店コスモス〉。そして、子供の頃『ヒラタマン』というヒーローになりたかったという良太がリアル世界とネット世界のいずれでも人生をもがき苦しむ中に、『この世界で生きてくってことが、俺は好きだ』と生きる喜びを見出す未来が描かれる〈本物の変身ベルト〉、というように描かれる内容は様々です。そして、そんな主人公たちが訪れるのが『コンビニたそがれ堂』です。『世界中のお店にあるどんなものでも売っていて、それどころか、他のどんなお店にもないようなものまで売って』いるというそのコンビニ。作品世界の中とはいえ、正に夢のようなお店が本当にあるのなら是非訪れてみたいと私だって思います。しかし、そんなお店は『心からほしいと願ってその品を探さなければ、そもそもその店に』であうことさえ叶わないとされています。まさしく、『魔法のお店』だと思いますが、三人の主人公たちは心からの願いの先にそのコンビニに行き着くことができました。しかし、三人の主人公たちは必ずしも個別具体的な品物を求めていたわけではありません。愛は『お弁当箱』を求めましたが、その他にも思いがけず『万年筆』を手にしました。そして、宗一郎は妻への『プレゼント』を漠然と求め、良太は『胃薬』を求めていただけで、いずれも最終的に手にしたものは、本人が個別具体的に思っていたものではありませんでした。

この三作目では石井ゆかりさんによる〈解説〉が絶品です。石井さんは、三人の主人公たちがそれぞれ手にしたもののことをこのようにおっしゃいます。『村山さんが描く「コンビニたそがれ堂」は、その人たちが「欲しいもの」ではなく、「必要なもの」を提供してくれる』というその一文は、この作品世界のポイントを的確に言い当てていると思います。私たちは生きていく中で、何かに思い悩み、どうすべきか立ち止まったままになってしまう、長い人生を生きていればそんな時代が必ずあるように思います。そんな時、”こうしたい”、”こうなってほしい”という気持ちを持てたとしても、それに向かって進むための道筋が見えなければ前には進めません。この『コンビニたそがれ堂』は、そんな時に、まさしく”必要なもの”を提示してくれる場所です。世界中のどんなものが売っていても、その人に必要でないものはないのと同じです。たった一つしかなくてもその人が”必要なもの”を手にすることができる、それがこのお店のまさしく『不思議』の力であり、『奇跡』でもあるのだと思いました。

『良太さんも、愛ちゃんも、宗一郎さんも、「ここから先」に向かっていくためにまず、必要としたのは「思い出」をちゃんと作り上げることだった』と語る〈解説〉の石井さん。そんな『思い出』の中にある人々の思いを丁寧に確かめていく中で『いつのまにか、未来の時間の中に立つことができていた』と続ける石井さんがおっしゃる通り、私たちはまだ見ぬ未来へと歩みを進める中で自身がそれまで歩んできた道、そしてその道を一緒に走り、もしくは支えてくれた人の想いの先に生きていることを忘れてはなりません。しかし、実際には前を、遠くばかりを気にして、過去をついつい忘れがちになってしまいます。しかし、三つの作品の主人公たちが『コンビニたそがれ堂』で手にしたものは、何か未知の新しい世界のものではありませんでした。それぞれの人生の中、歩んできた人生の中に、実はそんな過去に、未来に進むための手がかりがあったのだと気付かされます。そして、ふんわりとしたファンタジー世界の根底に流れる我々の生き方にも通じるリアルな考え方をそこに見るこの物語を思う時、作品世界にお決まりのように繰り返される次の言葉が浮かび上がってくるのを感じました。

『そのコンビニには、世界中にある、ありとあらゆるものが売っています。そのコンビニには、ないものはないのです。心の底から探しているものがあれば、そのひとは必ず、ほしいものをそこで見つけて、買うことができるのです』

いつもながらに描かれる不思議世界の中に、人の優しさとあたたかさを感じる物語。それは、人が自分に誠実に向き合い、心の底から幸せを願うその想いを見る物語なのだと思います。そして、それは“流れ星に願い事をすると願いが叶う”という強い思いの先に、自らの中に願いを叶えたいと強く願うその心こそが自らの人生を未来へと繋げていくものなのだとも思いました。

人が人を想う優しい気持ちが紡ぐその先に光輝く未来を見る物語。その作品世界にすっかり夢中にさせていただいた、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 村山早紀さん
感想投稿日 : 2021年6月14日
読了日 : 2021年3月12日
本棚登録日 : 2021年6月14日

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