ほかほか蕗ご飯 居酒屋ぜんや (ハルキ文庫 さ 19-3 時代小説文庫)

著者 :
  • 角川春樹事務所 (2016年6月13日発売)
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さて、今日のレビューは人が思わず発してしまうひと言から、それが何を食べた時の言葉かを当てていただきましょう。

はい、第一問です。

『はふぅ』

さて、これは何を食べたのでしょうか?…って、これじゃあわからないですよね。答えは『ふつふつと立ち上がる飯粒と、ほのかについたおこげの色』という『茶碗を手に取り』『口いっぱいに飯を頬張った』際に出た言葉でした。

では、次にいきます。第二問。

『ああ、あったまるぅ』

さて、これは何を食べたのでしょうか?…って、皆さんのお叱りのお言葉が聞こえてきそうです。流石にこれだけでは分かりませんよね。答えは、『蓋を取ればふわりと湯気が上がり、鼻先が美味しく湿る』という『蕪蒸し』でした。

美味しいものを食べることは幸せな時間を過ごすこととイコールだと思います。そんな瞬間には、小難しい言葉ではなく、シンプルにその時の想いが口をついて出てくるものでもあると思います。衣食住という私たち人間が生きていく上で欠かせないものたち。それは、いつの時代であっても形こそ違えども私たちが生きるために欠かせないものです。その中でも”食”は、私たちに大きな喜びをもたらしてくれるものでもあると思います。

さて、ここに、そんな”食”に光を当てた作品があります。『江戸では一日の飯を朝に炊く。ゆえに朝餉はもう温かい飯にありつけるが、昼と夜は冷飯か湯漬けである』という江戸時代を舞台にしたこの作品。そんな江戸の町に『庶民の居酒屋』として人々の『胸の内だけでなく胃の腑まで、しっかりと掴』んでしまうお店が舞台となるこの作品。そしてそれは、出された料理を口にして思わず『うま、うま、うまぁ!』と、心からの幸せを口にする人たちの姿を見る物語です。

『「チチチチ」と鳴く愛鳥ルリオの声を聞きながら』頭を抱えるのは主人公の林只次郎(はやし ただじろう)。『ああ、どうしよう。もうおしまいだ』と『血の気が引』いた只次郎に『鶯の糞』を集めに来た『糞買いの又三』は、『猫でしょうかね』と声をかけます。『鶯の水浴用の籠が二つ』目の前にあり、一つの『止まり木』にはルリオがいるも、『もう一方は空で、しかも横倒しになってい』ます。『よりによって、佐々木様の鶯だよ』とその鶯が只次郎の父の上役である佐々木から預かったものであることを嘆く只次郎。そんな只次郎は『ただの次男坊』として気楽に生きていましたが、四年前、偶然にルリオを拾ったことで運命が変わります。『鳴き合わせの会』で『評判になり』、以降『鳴きつけをしてくれと』『金力のある者から鶯が持ち込まれるようにな』りました。そして、『その謝礼が馬鹿になら』ず、『貧乏暮らしから抜け出』した只次郎。『目尻に涙』を浮かべる只次郎に『お妙さんに会いに行ってみましょうや』と又三は提案します。『誰だい、それは』と訊く只次郎に、『不思議な人でさ。話してるうちに、気鬱がスッと消えちまう…すこぶるつきの別嬪ですぜ』と説明する又三。『私には気散じが必要かもしれない』と思う只次郎は、又三に連れられ、『仲御徒町の拝領屋敷を出て』『南へと進路を取る』のを見て『てっきり吉原の昼見世へ繰り出すものと思っていた只次郎は面食ら』います。そして、『神田花房町』へと至り、『ほい、着きやしたぜ』と『又三が示した店の看板障子には「酒肴 ぜんや」の文字』がありました。『ケチな居酒屋じゃないか』と言う只次郎に『ケチで悪かったね』と『浅黒い女の顔がにゅっと突き出して』きました。『年増も年増、大年増だ』と思う只次郎に、『お酒ですか、お食事ですか』と訊く女を見て、『これのどこがすこぶるつきの別嬪だ』と思う只次郎。『今生最後の酒になるやもしれぬのに、なにが悲しゅうて婆あの店で、むさくるしい男と差し向かいで飲まねばならないのか』と思う只次郎は、仕方なく入った店の中を見回します。『入り口近くの土間に調理台があり、竈を据えてある。その横の見世棚には大皿に盛られた料理 ー 里芋の煮ころばし…』と『頼べば取り分けてくれる』料理が並んでいます。その時、『おいでなさいまし』と『調理台の向こうから声をかけられ』た只次郎は、『呆けたように口を開け』ます。『裾の乱れを直して微笑みかけてくる』女を見て、『生き菩薩様が、そこにいた』と思う只次郎。お妙という女性との出会いの先に新しい世界が開けていく只次郎の姿が描かれていきます…という最初の短編〈笹鳴き〉。お江戸の時代感をたっぷり感じる物語の中にお妙の作る美味しそうな料理の数々にも魅せられる好編でした。

“美味しい料理と癒しに満ちた連作時代小説”と内容紹介に記されるこの作品。坂井希久子さんの代表作の一つでもあり、このレビューの時点でなんと11巻まで刊行されている大人気シリーズです。そんな作品の冒頭はこんな一文から始まります。

『ホー、ホケキョ。と、鶯が声を張るにはまだ早い、寛政二年(一七九〇)神無月十日』

そうです。この作品は、江戸時代を舞台とした”時代小説”でもあるのです。私は700冊以上の女性作家さんの小説ばかりを読んできましたが”時代小説”は、西條奈加さんの「心淋し川」と「烏金」しか読んだことはなく、まだまだ限りなく初心者です。どうしても現代が舞台でないということ、それだけで、読書に緊張感を覚えてしまうのですが、この作品は読み始めてそんな不安を一瞬にして吹き飛ばしてくれました。〈解説〉の上田秀人さんが、”坂井希久子氏が、ついに時代小説に手を出した”と書かれていらっしゃることからこの作品が坂井さんの初めての”時代小説”なのだと思いますが、それにしてもこの作品はこなれすぎているくらいに軽妙洒脱という言葉そのものの”時代小説”の世界が展開します。

では、まずは、時代感を特定できる表現を見てみましょう。

・『四年前の老中田沼主殿頭の失脚後、その息のかかった者が次々と逼塞を命ぜられ…』

・『老中首座松平越中守様の改革により、その方角にはすでに岡場所もないのである』

田沼に続く松平というこれら二つの名前で中学の歴史の授業が思い起こされます。『寛政二年』という元号の時代に一気にイメージがふくらみます。そして、この作品には時代感とそれをわかりやすく捉えるためのこんな工夫もされています。

・『まだ昼八つ半(午後三時)。日が沈むのが早くなってきたとはいえ、この時間では充分に明るい』

・『すでに明け六つ(午前六時)の鐘が鳴ったとはいえ』

どうでしょうか?『昼八つ半』などと言われても私たちには当然ピンときません。とは言え、『午後三時』と書かれると時代感が一気に失われます。この作品の()書きによる時間併記の工夫が読書に小気味良く効いてきます。なかなか上手い書き方だと思いました。また、江戸の町の様子をこんな風にも説明します。

『男があり余り、女が少ない江戸の町では、後家だろうが子持ちだろうがよくもてる』

男女比が極端に違った江戸の町、なるほど、そうなんだ、とちょっとした記述ですが、物語に説得力を与えていきます。また、武士の食事についてこんな記述も登場します。

『下級武士の夕餉など質素なものだ。膳の上に載っているのは山盛りによそわれた冷や飯、根深葱の味噌汁、沢庵漬け、ほうれん草の胡麻和え、それから艶やかに煮込まれた輪切りの大根である』

この時代に人々がどんな食事をしていたのか、それをこの時代の支配階級、しかし、次第に貧しさが表に出てくる『下級武士』の食事について端的に記したこの表現。なるほど、ととても納得感があります。そして、次はそんな食事について触れていきたいと思います。

この作品の書名にもなっている『居酒屋 ぜんや』は『神田花房町』にある『庶民の居酒屋』と紹介されます。そんな店を舞台に物語は展開しますがそこにたくさんの美味しそうな料理がたくさん登場します。そんな中から幾つかご紹介しましょう。

・まずは『煮た芋を半分ほどすり潰して共和えにしてある』という『里芋の煮ころばし』です。
→ 『ねっとりと舌に絡みつく粘り。それを辛口の酒でじわりと流す』という時代が変わっても共通の『里芋』のイメージ。そこに『辛口の酒』とはたまりません。そんな感覚を、こんな一言で坂井さんは表現します。
→ 『旨い。酒も芋も、際限なく入ってしまいそうである』。もう納得の料理です。

・次は『鮪と葱を出汁で煮た』『湯気の立つねぎま』が『平椀に盛って』登場します。
→ 一見、『目新しさのない料理』ですが『鮪も葱も、炭火で軽く炙ってから煮てあ』るという工夫によって『こんがりとついた焼き目』が食欲を煽ります。
→ 『ほふほふと息を吐きつつ搔き込』む只次郎は、思わず『うま、うま、うまぁ!』と声に出します。『炙ったことで身に旨味がきゅっと凝集され、その脂が玉になって汁と溶け合う。葱もまた甘みが増して、これは抜群の相性』だと思う只次郎はしみじみとこんなひと言を発します。
→ 『ああ、死にたくはないなぁ』

・そして、違う場面ですが、『どうぞ。器が熱いので気をつけてくださいね』と『匙を添えて』出されたのが『冬に嬉しい蕪蒸し』です。
→ 『蓋を取ればふわりと湯気が上がり、鼻先が美味しく湿る』という『蕪蒸し』は、『すりおろした蕪は積もった雪の見立て。匙を入れればもっちりと割れ、下に隠れた百合根と銀杏、それから鱈の身が顔を出す』という中、『とろりとした葛あんは、濃口醬油を少なめにして色を抑え、塩で味を調えた』という一品。
→ 『そのまま食うもよし、山葵を溶かして風味をつけるもよし』という中に思わず、『ああ、あったまるぅ』という言葉と共に『肩から、余分な力がふうっと抜け』ます。

“食”をテーマにした作品は数多あり、私も”お仕事小説”と共に大好きな分野の小説群です。しかし、”時代小説”と”食”のコンビネーションは初めての体験です。この作品で取り上げられる”食”は、『居酒屋 ぜんや』という庶民の食べ物です。

『どれもこれも、居酒屋にありがちな献立だ。それが少しの手間と工夫によって、ちょっとよそにはないものに仕上がっている』

そんな風に語られる『ぜんや』の料理の数々。時代を超えても美味しいものは変わらない、そこには必ず人の喜ぶ顔がある、改めてそう感じました。この作品には、とてもたくさんの食が登場します。書名にもある『ほかほか蕗ご飯』、『土鍋の蓋を取ると、もわっとした湯気とともに、清々しい香りが鼻先をくすぐった。蕗の香りだ…』と続く絶品の料理の描写についても是非ご期待ください。あー、レビューなんか書いてる場合じゃないかも。『蕗ご飯』が食べたーい!(笑)

そんなこの作品の舞台となる『居酒屋 ぜんや』には二人の女性が働いています。給仕を担当するお勝は『大年増』、『愛想がない』と散々な言いようがされます。一方で、調理を担当するのはこの作品でアイドル?的存在となり只次郎が『生き菩薩様が、そこにいた』と表現する主人公のお妙です。この二人の人物の設定がまた絶妙で、もう一人の主人公と言える只次郎とそれぞれのやり取り が物語に活気を生んでいきます。そんなこの作品は五つの短編が連作短編を構成しています。簡単にそれぞれの内容に触れておきましょう。

・〈笹鳴き〉: 鶯の『鳴きつけ』を生業にする只次郎。しかし、『よりにもよって、佐々木様の鶯』を、目を離した隙に逃してしまって途方に暮れる中に、『居酒屋 ぜんや』を訪れます…。

・〈六花〉: 『灘の造り酒屋の娘』という妻が『江戸のものが口に合わず、みるみるやせ細った』のを心配する夫の升川屋が『女房が食える料理を作っちゃくんねぇか!』とお妙に依頼…。

・〈冬の蝶〉: 兄を苦手にしている只次郎が『ぜんや』にいると、又三が『林家の下男』の亀吉が『戸の隙間から中を窺ってた』と引っ張ってきます。それを兄の仕業と思う只次郎は…。

・〈梅見〉: 『湯島天神に梅を見にきた』お妙はぶつかってきた子供に『巾着袋』を取られます。しかし『相撲取りのような体格の男に』ぶつかり倒れた子供を結局『ぜんや』へと連れ帰ります。

・〈なずなの花〉: 『鳴きつけがどうにか仕上がった』只次郎は、佐々木の元へ直々に鶯を届けます。喜んだ佐々木は、『養子先を世話してやってもいい』と言い出します…。

それぞれの短編の内容はオチを含めて極めてホッコリとした物語です。これは、鶯の『鳴きつけ』ということを生業とするものの基本的には『暇を持て余す旗本の次男坊』という只次郎という人物設定が効いているのだと思います。『人に必ず一つは取り得があるとすれば、只次郎のそれは、声のいい鶯を育てること』という只次郎。そんな只次郎は、『居酒屋 ぜんや』でお妙と出会いました。

『足腰と食欲さえしっかりしていれば、人はどうにか生きてゆける。それに旨い料理と お妙の微笑みが加われば、これ以上は望むべくもない』。

そんな風に『ぜんや』とお妙のこと最大級に賛辞する只次郎。一方で、そんなお妙は、只次郎のことをこんな風に思います。

『只次郎がいるだけで、どういうわけだか店の景色が明るくなる』。

なんとも微笑ましい会話のやり取りの中に築かれていく関係性は物語をとても穏やかな物語として紡いでいきます。そんな物語は、この作品がシリーズとして続いていくことを予感させながら一作目としての幕を下ろします。なるほど、これは、続編が読みたくなる、この世界観にまた浸りたくなる、そんな納得感をとても感じる中に本を置きました。

『もはや「ぜんや」は只次郎にとって、なくてはならぬ場所である』。

シリーズ化もされているこの作品では、『神田花房町』にある『庶民の居酒屋』『ぜんや』を舞台に五つの短編が作り上げるほっこりとした物語が描かれていました。軽妙洒脱な表現の数々が独特な読書のリズム感を作り上げていくこの作品。美味しいそうな料理の登場に読書をやめてご飯が食べたくなるこの作品。

“時代小説” × “食”が作り上げる独特な世界観にすっかり魅了された、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 坂井希久子さん
感想投稿日 : 2023年8月7日
読了日 : 2023年3月28日
本棚登録日 : 2023年8月7日

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