コ-ヒ-が廻り世界史が廻る: 近代市民社会の黒い血液 (中公新書 1095)

著者 :
  • 中央公論新社 (1992年10月1日発売)
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感想 : 80
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題名の通りですが、コーヒーを基軸に世界史の知識が深められる本です。
以前に拝読した「おにぎりと日本人(増淵敏之著)」と共通した面白さがありました。
本書の中で、バッハのコーヒーカンタータ(1732年)が紹介されていたので、YouTubeで聴いてみました。当時のコーヒーの流行っぷりを音楽を通して感じ取れた気がします。

モカブレンド好きの私は、本書でモカの歴史を知れて嬉しかったです。

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◆モカについて
イエメンの「モカ」コーヒーが、オランダのアムステルダムに定期的に輸入されるようになったのは1663年。増大する消費量に対し、イエメンだけが産地であるコーヒーには、需要と供給に差があった。
利益が保証されているのなら、アラビアの商人を介在せずに、自分たちで作って売る方が稼げると気づいたオランダ人は東インド会社を設立。自分たちの植民地にコーヒープランテーションを作り始める。(1658年 セイロン、1680年 ジャワ)

その後、モカ港は衰退。理由は下記の通り。
①港の海底に砂漠の砂が溜まり浅くなった。
②土地が政治的混乱。1万トンのコーヒーを生産できなかった。
③ヨーロッパの莫大な資本で、ジャワ/西インド/中南米の国際商戦に敗れた。

◆コーヒーの飲み方。
元々、イスラムのスーフィズムのコーヒーは苦いものだった。
・砂糖を入れるようになったのはトルコ。
・コーヒーとケーキ文化は、ヴェネツィア。
 ヴェネツィアは砂糖の貿易の中心だった。  
 (エジプト/キプロス/シリアから入る
 砂糖の玄関口)
・フランスでは、カフェオレが生まれる。
 当時のフランス人はコーヒーは心身に悪い
 と思い込み、牛乳で毒性を抹消できると
 考えた。(←ちょっと適当な感じが
 フランスっぽいw)

◆ロシア人は、コーヒー派ではなく紅茶派。
小説「戦争と平和」で、ピエール/ナターシャ/ソーニャたちは、紅茶を味わっていたそう。
皇帝アレクサンダーのロシア軍が駐屯した際、パリは紅茶ブームになる。その時、多くのカフェはビストロと名称を変えた。これはロシア語の「быстро(ブイストラ) 早く」を意味し、出入りするロシア軍人に紅茶を早く出していたことが由来。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史系(日本史・世界史)
感想投稿日 : 2022年1月5日
読了日 : 2021年12月12日
本棚登録日 : 2021年4月26日

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