夜と霧 新版

  • みすず書房 (2002年11月6日発売)
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『夜と霧』

【購読動機】
数年前から読みたい本の1冊でした。2023年ようやく読了しました。きっかけは、引退したプロボクサー/村田選手の新聞記事です。内容は、「人間の内面に迫るノンフィクションを読む。哲学。」です。そのなかで、村田選手が紹介していた1冊が「夜と霧」でした。

【著者の動機】
ドイツの収容所から帰還を果たした心理学者が著者です。彼が執筆した目的は、個人的体験を記述することではありません。
収容の生活は想像を絶するものであり、第三者が理解するには距離がありすぎる現実です。それは、無事に生還した人々の「理解してもらえるはずはない」という孤独を生む原因にもなります。
こうした事情を鑑みて「(少しでも)理解してもらえる機会」になれば・・・と執筆したと記述があります。

【読み終えて】
帰還を果たした方の著書は初めてでした。
「生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするのか?(にかかっている)」

朝、起きて、仕事をして、夜に就寝をする。
空を仰いで、道端の草花を見て、季節を感じる。
無意識の日常の連続が有難いことなのだ・・・と再認識できる機会となりました。

身の周りで起こる出来事はコントロールできない事象もあります。
ただし、その事象をどのように認識するのか?は、本人次第でコントロールできうることだと著書にも記述がありました。

「夜と霧」の生まれ。あとがきに、翻訳者が執筆者に直接交渉をして生まれたとあります。翻訳者の意思と行動があってこそ、語り継がれる1冊が生まれたことに、感謝します。

【さいごに/著書より】
人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

かつてドストエフスキーはこう言った。
「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」

この究極の、そしてけっして失われることのない人間の内なる自由を、収容所におけるふる いや苦しみや死によって証していたあの殉教者のような人びとを知った者は、ドストエフス キーのこの言葉を繰り返し噛みしめることだろう。

その人びとは、わたしはわたしの「苦悩に 「値する」人間だ、と言うことができただろう。彼らは、まっとうに苦しむことは、それだけで もう精神的になにごとかをなしとげることだ、ということを証していた。最期の瞬間までだれ も奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深い ものにした。

なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安な生や、美や芸術や自然 をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強 制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会 も皆無の生にも、意味はあるのだ。

そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじ がらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。

被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。しかし、行動的に 生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 心の勉強
感想投稿日 : 2023年5月3日
読了日 : 2023年5月3日
本棚登録日 : 2020年2月12日

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