さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社 (1997年4月10日発売)
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 “率直さ”或いは純粋さ。
「あ、雨だ」とか「彼女はくすりと笑った」とか「それってどういう意味なの?」とか。
 思わず口にしてしまう言葉とか、とってしまう反応。
 “率直さ”はそれだけで可愛らしくて、ほっとする。
 なんだかそれは、タイムテーブル上を余すことなく敷き詰めている私たちのベルトコンベヤーにおける小休止みたいじゃない?

 “わたし”がとても可愛らしい。
 わたしという主語一般を文面で見れば、どちらかというと固苦しいのだけれど。
 この“わたし”は柔らかくて、少しおどおどしていた、始終肩をすくめていて、ユーモラス。
 現実に対して超然とした態度をとる“わたし”に魅力を感じるのだ。

 自分の名前を自分でつけるようになった人々は、自分でつけた名前と殺し合いなった。
 そうして“わたしたちは「死」に慣れっこになった”。
 次いで、恋人たちが互いに名前を付けあうようになった。“それが求愛の方法”らしい。
 “わたし”は彼女を「中島みゆきS・B(ソングブック)」と名付け、「さようなら、ギャングたち」と命名された。

A:自分の名前を自分でつけるようになった人々は、自分でつけた名前と殺し合いなった。
 実は馴染み深い表現な気がする。ぱっと思いついたのは千と千尋で、湯ばあばに名前を取られてしまう場面だ。次に、ゲド戦記。クモに名前を教えて、支配されるアレン。
 名前に籠る霊力が取り沙汰される。
 自分たちで付けた名前と殺し合いになるのは、名前を付けた本人は名前を付けられた当人と全く別物の存在で相容れないからかもしれない。わたしたちは赤ちゃんのときに、自我が芽生える前にはもう親からの与えられた名前を持っている。
 ああ、いま呼ばれているのはわたしなんだなと理解することができる。
 わたしは名前のあとから生まれてくる。
 とすると、名前を付けるのはすでに“居る”わたしから、総スカンを食らうような者だ。やっぱり名前は、与えられなくちゃならないもの。恋人につけてもらう名前とは、もう一つの人格であり、新しい存在だと思うと、イカした求愛だなと思う。

  命名された「さようなら、ギャングたち」の説明らしい説明がないままに、猫のヘンリー4世とS・B
との幸福な生活が続く。生まれた娘が死に、S・Bは失踪した。

>役所はわたしたちが死ぬ日を正確に知っていて、その期日をハガキで通知する。
 20歳以上の者には本人、20歳未満と禁治産者にはその保護者にハガキを送る。

 死んだキャラウェイはまだお喋りが出来る。

 死んだ人間が、すぐに処理されてしまい、見えないところまで遠ざけられてしまうのもまた、この物語 世界に特有の慣習じゃない。
 役所に死体が回収されるわけではないけれど、僕らの世界でも、病院から死体安置所へ、そこから葬儀屋へと運ばれていく。とてもスムーズに。
 生と死もやっぱり手続きで、役所が代理業者のように、その手続きを円滑なものにしている。
 死体とずっと一緒にいたこともないので、手続き的な死の他に、まだ違う種類の死もありそうだ。

 役所までの道で死んでミイラみたいになった赤ん坊を抱えた母親に出会う。母親は長い間、死体を抱えてそこに留まっているのかもしれない。

>「ギャングになったほうがずっといいわ」

 ギャングはこの手続き的な死を回避できるのか?
 もし出生したことすら届けなければ、死のハガキは届かないのだろうか?

 S・Bが戻って、ギャングたちに襲撃される。
 S・Bもまたギャングだったみたいだ。
 目の前で射殺されたはずのS・Bがガラスの眼になって復活する。

>「ギャングは何回殺されても生きかえります。ギャングを選択した者は殺されても殺されても、その度に、生きかえります。わたしたちは、顔がつぶされない限り、いつまでも、いつまでも、いつまでも、ギャングなんです。」

Q:「さようなら、ギャングたち」とはどう意味なのか?

 S・Bが“わたし”/S・Bと“わたし”のふたりにおける関係性“わたし”へと命名したこの名前は、別れを告げられるのがギャングたちであった点で、“わたし”自身がギャングたちへ別れを告げる主体だったのか?それとも、“わたしが”S・Bに中島みゆきS・Bと名付けたように、その名詞が最もS・Bの愛した何かだったのか?

 「さようなら、ギャングたち」は作品だ。
 もし作品である「さようなら、ギャングたち」を“わたし”に命名したのだとすると、作品に言及したS・Bとギャングたちは、まるで作者のような立ち位置に変わりはしないか?

>「くだらないなぁ、実際。最低だよ」
>「ほんとうにこんなの最低だわ」
>「最低って、最低ってことなのね」

Q:美しいギャングとS・Bが最低と言った「こんなの」とはなんだったのか?
 ギャングたちへの一斉掃射の制裁?/警察機構という暴力?
 ギャングという人間とはまた違った生き物の存在を認めない社会のこと?

 
 何が最低なのか分からないまま、場面が切り替わって、トーマス・マンが実在しない世界でトーマス・マンの短編集を求めて彷徨い始める“わたし”。
 
>「あんた、ギャングなの?詩人なの?」
>「お前が何なのか、おれには全然わからんよ」

 ヘンリー4世を弔ったわたしは、サブマシンガンを手にして、「ニュース・キャスターに殴り殺されたギャング研究家」らしき像を殺害し、幼児用墓地の受付の女を爆殺し、自殺する。

ギャングになりそこなった“わたし”の像が語るものを考えてみる。成し遂げられなかった革命と、その償いとしての傷の物語。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年9月27日
読了日 : 2023年9月27日
本棚登録日 : 2023年7月18日

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