シェイクスピアを観る (岩波新書 新赤版 754)

著者 :
  • 岩波書店 (2001年10月19日発売)
3.17
  • (0)
  • (2)
  • (3)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 46
感想 : 2
4

シェイクスピアというのは不思議な作家である。本人の姿そのものが伝説に包まれていて、いまだにはっきりしない。しかし、その戯曲に関しては、現在も世界中で演じ続けられている。16世紀に書かれた戯曲が、なぜ現代の観客を魅了せずにはおかないのか、著者は、演劇映画を区別することなく、実際に目で確かめることのできるもの、たとえば、舞台なら日本で演じられたもの、映画ならビデオ化されたものを用い、その秘密に迫っていく。

四つの章で四つの作品を取り上げ、作品解釈の変遷や、演出意図のちがいを論じていくのだが、各章が独立してシェイクスピア作品鑑賞の手引きにもなっている。選ばれているのは、『十二夜』、『ハムレット』、『冬物語』、『ヘンリー5世』で、それぞれ、喜劇、悲劇、ロマンス劇、歴史劇を代表している。たとえば、第一章では、自然主義リアリズムから社会主義リアリズムへと向かう日本演劇界のシェイクスピア受容について触れながら、「主筋と副筋の間然するところのないみごとな綯い合わせ」というシェイクスピアの作劇術の一つの到達点を示すものとして『十二夜』を取り上げてみせる。

第二章の『ハムレット』が暴くシェイクスピアの秘密はテクストの複数性である。作者の複数性と言ってもよい。もともと、ハムレットには「原ハムレット」とも言うべき種本が存在する。それをもとにシェイクスピアが書いたのが正規の版。しかし、『シェイクスピアを盗め!』でも書かれているような事情で正規の版が出される前に海賊版が先に流布している。さらに後に編集された全集版と、それらを合成した完全版、といくつものテキストを持つのが『ハムレット』なのである。それらのどのテキストを選ぶかで、ハムレットという芝居はかなり変わる。しかも、時代の要求により、また演出者の意図によりハムレット像は変化せざるを得ない。『ハムレット』を上演することはテキストと対決することを避けられない。その緊張感こそ『ハムレット』に限らずシェイクスピア作品を永遠に古びさせない秘密である。

三つ目の鍵は、近頃評判の「メタシアター」という自己言及的な枠組みをいち早く取り入れていることである。言うなれば、劇自体をもう一つ大きな物語枠であらかじめ包んでおくことで、観客に作劇上の不自然さを感じさせないための用意といってもいい。「きわめて物語的な誤解のもとに離れ離れになっていた夫と妻、親と子が、波瀾万丈の経過を経て再会する」といったテーマを持つのがロマンス劇だが、時間的にも、空間的にも大きく広がる超自然的な世界の特性を生かすことで、死んだはずのヒロインを生き返らせるなどというトリッキーな手法が成功するのである。もちろん入れ子細工のつなぎ目を不自然に見えなくする工夫が演出家の腕の見せ所でもある。

歴史劇を取り上げた『ヘンリー5世』の章では、ローレンス・オリヴィエとオーソン・ウェルズ、そして今最も注目を集めるケネス・ブラナーの作品を通じて主に映画を論じている。ヨーロッパ演劇はもともと中世以来聖書の物語を劇化した宗教劇から発展してきた。一日がかりのページェントとしての劇は長い間に自国の歴史の劇化を呼び込むことになる。しかし、戦場のスペクタクルに関しては、舞台上で演じるには限りがある。映画は作者が想像できた以上にシェイクスピアの作品を観客の前に展開してみせた。歴史劇に限らず、映画化してみたくなる素材が、彼の作品にはあふれている。シェイクスピア劇が、いつまでも愛され続ける原因の一つだろう。

「作者の複数性」、「メタシアター」等に見られるのは、シェイクスピアがきわめて現代的なファクターを持っているということである。その一方で、双子や男女のとり違えなどの古くから物語に使われてきた要素を多用するなど観客の心理の古層に通底した作劇術の巧みさも持つ。シェイクスピアが古くて新しい秘密はこのあたりにあるのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: シェイクスピア
感想投稿日 : 2013年3月11日
読了日 : 2001年12月28日
本棚登録日 : 2013年3月11日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする