<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

  • 以文社 (2003年1月23日発売)
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大著である。序に「本書の執筆は、ペルシャ湾岸での戦争がまさに終わった後に開始され、コソヴォでの戦争がまさに始まる前に完了した。」とあるように、執筆姿勢はきわめて今日的な問題意識に貫かれている。世界は、この書物の執筆期間に負けず劣らず混迷の度を深めている。国連という機関の存在を無視した米英軍によるイラク攻撃という異常事態に見舞われている今日の世界を読み解く上での示唆に満ちた書物というべきか。

著者のアントニオ・ネグリは60年代イタリアの非共産党系左派の理論的指導者として知られるが、後にテロリストの嫌疑をかけられ投獄、現在は仮釈放中の身である。マイケル・ハートは亡命中のネグリが教鞭を執ったパリ第8大学で彼に師事し、ネグリが獄中で執筆したスピノザ論『野生のアノマリー』を英訳している。二人の著者は本書の中で共産主義者であることを宣言し、プロレタリアートに未来を見出している。これは現在の社会的風潮から見てもきわめてめずらしいことと言わねばなるまい。

ソヴィエト連邦の瓦解により、冷戦時代は終焉し、世界は合衆国がヘゲモニーをとる資本主義社会に落ち着くかのように思われた。ところが、政治的には、二十世紀最後の十年間は湾岸戦争をはじめとする戦争、紛争、内戦が後を絶たず、まさに世紀末的な様相を帯びることになった。経済的には「グローバル化」という言葉が盛んに叫ばれるようになったが、「グローバル化」とは単なる「アメリカ化」のことではないかという批判に見られる如く、国民国家という政治形態はその流れに脅威を感じていた。

著者たちは、この混沌たる時代に現れた「グローバル化」の動きを、従来の「帝国主義」とは一線を画し、「〈帝国〉」と名づける。つまり、「〈帝国〉」は、かつての「帝国主義」のように、一つの国民国家の主権の拡張の論理に基づくのでなく、脱領土化、脱中心化されたネットワーク上の支配装置であると主張するのだ。ドゥールーズ/ガタリからとられたと思われるこの概念は、今までにない画期的な秩序と権力の構成を示唆する。

国家という領土を持たず、国民という臣民を持たない「〈帝国〉」は、その力を行使するために、必然的に労働力を多国間の多様な人民に頼らざるを得ない。ここに、「〈帝国〉」に対する対抗勢力として「マルチチュード」が誕生する。「マルチチュード」はスピノザに由来する概念で、一般的には「群集」「多性」と訳されたりするが、まったく新しい能動的な社会的行為体であり、働くことによって自己を特異性として生産する新しいプロレタリアートなのである。

スピノザ、マキアヴェッリ、フ-コー、ジル・ドゥールーズ、フェリックス・ガタリ、ベンヤミン、ウィトゲンシュタインそれにマルクスやローザ・ルクセンブルグを援用しながら、ローマ帝国の時代から合衆国に至るまでの権力の推移とそれに対抗するマルチチュードの布置を論じる筆さばきは鮮やかなものだが、一番の問題は、「〈帝国〉」という現実的な権力と秩序の持つリアリティに対して、対抗勢力として期待されながら、現実には分断されたままの「マルチチュード」の圧倒的な脆弱さをどうするかという点にある。この大事な点に来ると、著者の語り口は荒野に呼ばわる預言者のようで、今ひとつ説得力が感じられない。ひねくれ者の評者などは、著者が「ホモ・タントゥム」と呼び、一種の社会的自殺だという「労働と権威の拒否」「自発的隷従の拒否」という在り方の方に惹かれてしまったのだった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 帝国
感想投稿日 : 2013年3月10日
読了日 : 2003年4月20日
本棚登録日 : 2013年3月10日

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