沖縄と福島。米軍基地と原発というそれぞれの大きな問題を抱えるふたつの地域を安易に同一化するのは危険かもしれない。
けれども大きな視点からみると、その根底にはアメリカの意志というものがあり、それに対する戦後の日本の政治というものがある。
日本はアメリカの政治判断に日本は抗えない。むしろアメリカに従属することで「自分の頭で考えなくてすむ」という安寧を得ていたのではないか。
軍事、外交の多くはアメリカに任せて経済成長に専念できたことが、現実的にはメリットとして享受してきた。その代償として沖縄は再び「捨て石」とされ、アメリカに供されてきた。その間国内では東京への一極集中が進んで地方は疲弊して過疎化し、そんな地域を狙って55基もの原発が建設された。共通するのは巨額の地方交付金や賠償金をばらまくことによって、世論の分断が起きていることである。賠償金を過剰にばらまくことで、都市の人間は『やましさ』を感じないですむ。我々はみな米軍基地や原発という危険なものを地方に押しつけている、
(NIMBY~Not In My Back Yard~というらしい)『やましさ』があるのだ。それが時には攻撃的にもなるし、無関心にもなる。
9.11以降のアメリカにも似て、3.11以降の日本は明らかに右傾化している。美談ばかりを取り上げるジャーナリズムの偏向もそれを助長している。民主党への失望を梃子にした自民党の躍進と、あからさまなジャーナリズムの追従は、非常に不気味な歴史の暗部を思い起こさせる。
なぜわれわれわれは変われないのか。民主主義とはこんなものだったのか。
残念な思いばかりが残る問いかけである。
- 感想投稿日 : 2013年4月1日
- 読了日 : 2013年4月1日
- 本棚登録日 : 2013年4月1日
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