この本の著者、南直哉さんは、アスリートの為末大さんの『禅とハードル』を読んだときに知った。変わった人だと思う。おそらく、禅僧の中でも変わっているのではないだろうか。
本人は、早稲田の文学部を卒業後、サラリーマン生活を経て永平寺に入門。20年の修行生活をした。現在は、青森県恐山の院代(山主代理)をされている。
この本は、悩みをもっている少年が、老子と出会い会話をすることで自分の問いに迫っていく。たぶん、南さん自身の若いころをトレースしているのだと思う。
「ぼくはどこに行くのか知りたいのではない。どこに行こうと行くまいと、死ぬとは何か、それが知りたいのです」
「ぼくは考え続けていいのでしょうか。考え続けた方がいいのでしょうか」
「それは幸福なことなのですか」
「なぜ、ぼくはいつでもぼくなのでしょう」
「すべてが虚無ならば、私はこの世界で、どうしたらよいのですか」
少年の悩みは、彼の「問い」に対する「答え」が見つからないからだ。誰しもが抱いたことがある「問い」だろう。でも、大人になるにつれて、その「問い」を忘れてしまう。それに答えはないのだと、大人になるどこかでケリをつけるのだろう。
本書は、その少年の切実な「問い」をもち続けることが大切だと教えてくれる。「大切なのは答えではなく、答えがわからなくてもやっていけることだ」と。「やっていく方法は自分で見つけるしかない」。そして、「生きる意味より死なない工夫だ」。そして、笑うことができることが大切なのだと。
解説には、茂木健一郎、三浦じゅん、土屋アンナの3名が寄せている。茂木健一郎の解説はつまらない。土屋アンナの解説には共感が持てる。彼女が好きになりそうだ。(笑)
- 感想投稿日 : 2013年6月2日
- 読了日 : 2013年5月30日
- 本棚登録日 : 2013年5月30日
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