仕事柄、自分の顔を見ることが多い。鏡に向かってメイキャップをする。なんとなく鏡の中の顔を見ているうちに、ふと妙な気分になってくることがある。・・・これがオレの顔か?これが「オレ」か?そのうちにオレの中身というか、そんなおかしな気分になっているオレの内面も、あやふやでおぼつかないものに感じられてくる。このエッセイ集に、興味深い一節がある。
ー寿司屋での勘定の払い方も、包丁の持ち方も、食事の作法も、カクテルの作り方も、私は各々の達人や書物からならったり学んだりしてマスターした。女にちする術も、ー私は役に立つことをいろいろと知っている。しかし、これらはすべて他人から教わったことばかりで、「私自身はほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない」ー俺がオレの顔に違和感を覚えたのもこの「無内容な、空っぽの容れ物」といくらか関係がありそうだ。
「空っぽ」を埋めてくれるものは一つしかない。「他者」である。もっと言えば他人(ヒト)を好きになることである。
山崎努『柔らかな犀の角』にて紹介 p.73
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- 感想投稿日 : 2023年9月26日
- 本棚登録日 : 2023年9月26日
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