目の見える人が外界から得る情報の8~9割は視覚に由来するという。
本書は、自分と異なる体を持った存在に興味を持ち、生物学者を目指したこともある著者が、『身体論』のアプローチから、目の見えない人がどのように世界を認識しているのかを分析する。
少し前に視覚障害者のドラマを観て、目の見える自分には気づかないいろいろな不便があるんだろうな、なんて気持ちで手に取った本だが、その考え方がずいぶん傲慢であったことを冒頭でいきなり思い知らされた。
確かに、目の見える人が視覚によって得ている情報を、目の見えない人が同じ形で受けとることはできない。しかし、目の見えない人は、目だけでなく、他の器官を使って情報を得ているのだ。
わかりやすいな、と思ったのが、四本脚の椅子と三本脚の椅子の例え。脚が一本少なくても、バランスを変えることによって、椅子としての機能は四本脚と変わらない。目の見えない人もこれと同じで、他の感覚を使うバランスがそもそも違うのだ。
本書では、空間のとらえ方、感覚の使い方、運動、言葉を使ったコミュニケーション、というカテゴリで、目の見えない人の認識のしかたを紹介してくれるが、これがとてつもなく面白い。
著者が東京の『大岡山』駅から、丘の上にある東京工業大学まで目の見えない人と歩いた時のこと。
目の見える人にとってはただの坂道だが、目の見えない人は、『大岡山』の地名の意味を足元の感覚で理解したのだという。
また、視覚を遮断した状態でプレイするブラインドサッカーについては、やったことも観たこともなかったが、単に通常のゲームにペナルティを付加している、というのでなく、独自のプレイのしかたやおもしろさがある、というのが興味深かった。この本を読んだ後だったら、パラリンピックにもっと興味を持っていたかもしれない。
目の見えない人と目の見える人が組んで美術鑑賞を行う「ソーシャル・ビュー」は、目の見える人が言葉で目の見えない人に色や大きさ、形などの情報や自分の感じたことを伝え、それに対して目の見えない人が質問したり皆で話し合ったりして、鑑賞を深めていくものである。
目の見えない人に情報を与える、という一方通行のコミュニケーションではなく、双方に新しい気づきが見られるという点で、ウィンウィンの鑑賞法だといえる。
目の見える人は、思った以上に視覚からの情報に引っ張られがちだ。その点、目の見えない人は余分な情報が少ない分すっきりと整理して考えることができる。
それぞれの感覚の使い方、感じ方を知ることで、思いがけない発見やおもしろさが生まれてくるのだ。
- 感想投稿日 : 2022年6月8日
- 読了日 : 2022年5月14日
- 本棚登録日 : 2022年6月8日
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