冒頭から面食らう。
前もって知ってはいたけれども、川上さん特有の関西弁が完全に封印されており、それどころか平坦すぎるくらいな標準語がいきなり連ねられていた。
「乳と卵」とかの感じが大好きな私にはそれだけでちょっとだけ物足りないような気がしたけど、今回の話は「善と悪」がテーマだからそこは問題じゃないんだろう。
苛めのシーンは凄惨の一言。
クラスで苛めを受けている主人公は、同じく苛められているコジマという女の子に手紙で呼び出され、そこから二人の交流が始まる。
二人のやりとりがこの小説の主軸と言えるだろうけど、私が一番印象に残ったのは主人公といじめっこグループの1人・百瀬との会話だった。
「どうしてこんなひどいことができるんだ」という主人公の問いに対し、「できることはできてしまう、それだけのシンプルな話。それぞれの都合と解釈の中に、どれだけ人を引きずりこめるかが問題だ」と、答える百瀬。
憎らしいけど、百瀬の言う通りだと思った。
AVの例とか頷けてしまった。どんな父親も自分の娘がAV出ると言ったら止めるだろうけど、誰かの娘である女が出ているAVは平気で観てるっていう話。
考えようによっては、コジマだってそうだ。自分と同じ境遇の主人公に、自分の解釈を押し付けている(最後の階段のシーンではそう感じた)。主人公の斜視の目は、それが主人公たる「しるし」だと。それを手術する可能性をちらつかせただけで、コジマは号泣し、「君は仲間だと思ってた」という言葉を残して、口を利かなくなってしまう。
小説中、主人公が何度も反論するのと同じように、自分も百瀬の主張には頷きたくなかったんだけど、納得してしまった。なんだかんだ、それが世の中だなって。このモヤモヤは圧倒的だった。
だけれども、14歳だからこその視野の狭さが各所で感じられた。
主人公にもコジマにもいじめっ子達にも。たとえば、主人公が自分の目はもう治らないと思い込んでいるところとか。いじめられても学校に行くしかないと思っているところとか。
14歳の頃って、あんなに未来を想像できなかったっけ。「今がすべて」って感じだったかな。もう思い出せないけど。
そう、こうやって大人になったら、忘れてしまうんだ。
「手術したら、自分が斜視だったことも思いだせないくらいになるよ」
主人公はそれを眼科医の先生に教えられて、やっと未来の存在に気付いたんじゃないかな。
自分の世界をガンガンしゃべってくるコジマに、初めは頷いてばかりの主人公だったけど、だんだんと自分の意志を固めていくのがわかる。
だからこそ、彼は最後に斜視を治す手術を受けた。
コジマが「すきだよ」と言ってくれた、斜視を消し去った。
夏、二人の道は一度は交わったけれども、またすれ違い、違う方向に進んでいった。これからの人生で二人の道が交わることはあるのだろうか。
斜視だった主人公の目が元の位置に戻り、像を結ぶ世界に涙を流すラストは感動的。
だが、最後の最後の文章で、彼がこの夏から秋にかけて、決定的な傷を受けてしまったことを知る。
「映るものはなにもかもが美しかった。しかしそれはただの美しさだった。誰に伝えることも、誰に知ってもらうこともできない、それはただの美しさだった。」
あるいはかさぶたになって、彼自身の一部として生き続けていくのかもしれないけど…。
- 感想投稿日 : 2012年8月6日
- 読了日 : 2010年2月6日
- 本棚登録日 : 2012年8月6日
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