三島由紀夫の小説に足りないものは何か。
それがわかったような、、、。
この世を創っている仕組みに関与していないのだ。
いや、批評精神がないとでも言おうか。
作者の資質なのだから芸術性が削がれるわけではないけど。
むしろ芸術上の美学が濃くあるのだが。
さて第三巻にいたって脇役の「本多」が主人公に躍り出てきた。
第一章と二章に分かれている。
第一章のタイ、インドへ「本多」が旅行してつぶさに見た、
「輪廻転生」の仏教哲学を詳しく語る部分は圧倒される。
「唯識(ゆいしき)」「未那識(まなしき)」「阿頼耶識(あらやしき)」
の言葉が飛び交い煙に巻かれた感じである。
ただ、永遠に続くことはなくて絶えず流れているのがこの世であり、
「いまここ」を生きるという仏教の根本理念はわかるが。
一章と二章の落差。
この一章に三島由紀夫が自殺を決意したこのなぞときがあると文庫の解説者はいうが、、、。
うーむ?
第二章の老齢になった(といっても58歳、いまならまだまだなのに?)
のあきれる姿、これでもかこれでもかと猥と雑を描く筆のさえは何事かと思う。
この司法の場で仕事する人物の、言うなれば世間知らずがおもしろい。
しかし「情熱な悲恋」と「壮絶な自刃」行動の純粋な見守り手だった彼が、
やっと人間性を取り戻したのかもしれない。
ひょんなことから億万長者になり、老醜をさらすような、贅の限りを尽くし、色香に迷い、ばかなことをする、執着する、最低、、、。
落ちるところまで落ちた先は、、、という作者の心づもりがある。
というとうがちすぎでつまらないようだけれど。
- 感想投稿日 : 2021年9月2日
- 読了日 : 2006年3月9日
- 本棚登録日 : 2021年9月2日
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