1950年代に書かれたSFなのだが少しも古くない。これはSFにしてSFにあらず。叙情的、文学的、文明論だと思う。
ちょっとフォークナーの「八月の光」、スタインベックの「怒りの葡萄」たして2で割ったような感じがすると思うのはアメリカ文学ということか。
あらすじ
時代は21世紀の現代に近いらしい。
戦争の10年後だという。(三度の世界大戦という箇所があった)
50年代のSFなのにまるで現代を予言していたかと思われる電子レンジとかコンピューターが出てくるのは驚異。TV、洗濯機、冷蔵庫は朝飯前。私が50年代にいたときはTV、洗濯機、冷蔵庫がびっくりだったので、なるほどSFだーと思った次第。面白い。
ポール・プロテュース博士はイリアム製作所の所長。
亡くなった父親が取締役として貢献した総合組織会社「商工業・通信・食糧・資源」のひとつの工場で、将来を父親のようになると期待されている。
生産手段がオートメーション化され、自動ピアノのように人間が機械にパンチカードで支配されている。
そればかりでなく人間そのものもIQ、能力で番号をつけられ公式記録として役所に登録、階級化されている。
偉大な父親のようになると期待されていることに、反発しているポール・プロテュース博士。
機械一辺倒の時代の体制を批判的に見ているし、川向こうのIQの低いため能力を認められていない人々に興味、同情いだきながら、もうひとつ煮え切らない。
その彼が偶然ともいえる運命『革命』に導かれて、目を見開かされていく生き様。
苦労しながら自己の行く道を定めるのか?完遂するのか?
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その『革命』とは、なにか。
ラッシャーという元宣教師だった男が予言している(P136)
『たぶんね。ありうることだ。便宣的にもうけられた区分に基く階級戦争、といったものが発生する素地は充分にある。現在の仕組みが第一級の暴力扇動行為だということだ。人間は頭のいいやつほど偉い、といったあれさ。昔はそれが、人間は金持ちほど偉い、だった。どっちにしても、持たざるものにとってはかなり納得しにくい仕組みだ』
IQが高くて、『ある特殊な種類の知能』=『特定の是認された、有用な分野―運営管理か工学技術の方面―で頭がよくなくちゃならない』がなければ認められて人々の先にたてない、幸せになれない。。
IQが低くて能力が無いと烙印を押された人の気持ちを考えると、登録制度を壊し、機械を壊す革命しかないと...。
ああ、なんと現代に似ているだろう。
いわく、「これからは技術能力があって、管理能力もなけれならない」
そして「勝ち組、負け組み」という言葉!
不思議だがこれを読んでいてトルストイ「アンナカレーニナ」とか、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を思い浮かべた。人間の価値という哲学の追求があるからだろうか。
- 感想投稿日 : 2021年9月14日
- 読了日 : 2004年7月21日
- 本棚登録日 : 2021年9月14日
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