花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (1968年9月17日発売)
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「美は秀麗な奔馬である。」

花盛りの森の作中、筆者は次の様に語っています。

「かつて、霜降りそそぐ朝の空に向かって、猛々しく嘶くままにそれはじっと制せられ抑えられてきた。そんな時だけ、馬は無垢で類いなく優しかった。
しかし今、厳しさは手綱を離した。馬は何度もつまづき、そうして何度も立ち上がりながらまっすぐ走っていった。もう無垢ではない。ぬかるみが肌を汚く染め上げてしまっていた。

本当に稀なことではあるが、今もなお、人は穢れない白馬の幻を見ることがないではない、祖先はそんな人を索めている。徐々に、祖先はその人の中に住まう様になるだろう。

ここにいみじくも高貴な、共同生活が緒を持つのである。

それ以来祖先は、その人のなかの真実と壁を接して住むようになる。
このめまぐるしい世界にあっては、ただ弁証の手段でしかなかった真実が、それ本来の衣装を身につけるであろう。

いままで怠惰で引っ込み思案だったそれが、うつくしい果敢さを取り戻すだろう。
祖先はじっとその新たな真実によって、育まれることを待つだろう。
まことに祖先は世に優しい糧で、養われることを希っている。

その姿は働きかける者の姿ではない。
かれらは恒に受動の姿を崩すことが出来ない。
ものの窮まりの、―例えば夕映えが、夜の侵入を予感するかのよう、おそれと緊張のさなかに、一際きわやかに耀く刹那―

あるがままのかたちに自分を留め、一秒でもながく「完全」を保ち、いささかの瑕瑾も受けまいとする。

-消極がきわまった水に似た緊張のうつくしい一瞬であり久遠の時間である。」

美しさのために死ぬというのは人生を謳歌し、何不自由無い暮らしを続け、自らがまた大霊に帰一する老人のための栄誉である時、微かに薫ってくる潮騒の匂ひは、また遥かな月の海への旅路でもあると思われます。

死は等しく、一人の人間を久遠の時に誘い、低い次元に留まらせる時、それが完全であれば完全であるほど、幾つもの群像が織りなす激情は、その様な個としての自分自身を押しとどめ、老人という路傍の人(モブ・キャラクター)に自らの像を重ねあわせていくものであるように思えます。

高齢化社会の中においてもはや、誰しもが年令を重ね、自らの老いを知り、遠く近くの巡礼の旅に出ることを求められています。

死して祈りの旅路に就く前に、優しさと愛しさを以て、歴史の群像の中に自らを落とし込める時、次世代に残せるものは一体何なのかを考えてみる必要があると思います。

90歳を超えてもまだ尚、枯渇する若者の生血をすすり生きようというのは新自由主義の化け物のようにしか見えないのです。

せめて、老人のあるべき像として、優しい面影の中に思いとどまってくれますようにお祈り申し上げます。

私達は、外征を行なう軍隊ではありません。
私達は憎悪を憎みます。

憎悪の源である貧困を憎みます。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2015年3月7日
読了日 : -
本棚登録日 : 2015年3月7日

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