養生問答 (平凡社ライブラリー)

  • 平凡社 (2010年2月10日発売)
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感想 : 1

二年前、首と肩の激痛に堪えられなくなったとき、ついに自力では立ち上がることができず、救急車で整形外科に担ぎ込まれました。このとき、医師が問診で「最近、なにか怪我や病気をしたことは」と聞くので、足首の靭帯を傷め、接骨院に通って治したと答えました。すると「骨接ぎ? あんなもの医者でも病院でもない」と吐き捨てるように言いました。人が人を鼻で嗤うというか、あからさまに見下した態度をひさしぶりに見た気がしました。

現代医学の医者がすべてそうだとは思わないけれど、代替医療を小馬鹿にしている彼のようなタイプはすくなくないのかもしれません。現代医学だろうが中医だろうがアーユルヴェーダだろうが接骨だろうが、患者は治ればなんでもいいのです。そこをわかっていない。

病気をしたり、怪我をしたりしたときは、誰だって治療する技術や資格をもつ人に頼らなければなりません。でも、病気や怪我を治すのは本人です。もっといえば本人のもつ生命力の勢いのようなものでしょう。医師であれ、理学療法士であれ、誤解を恐れずにいえば霊能者であれ、やれることはそのサポートにすぎません。どんなに医学が発展しているといっても、人は死ぬときは死ぬ。すべての医療は発展途上の学問であり技術なのです(さらに云えば、科学は永遠に発展途上のはず)。医者もヒーラーも神ではありません。患者自身も誤解してはいけないのです、なにより病気に、怪我に倒れたそのときに。

とはいえ、もし○○するだけで治るだの、○○は万病に効くなどとと云われたら、飛びつきたくなるのが人情というもの。ただ、それは到底成立しない理屈です。
結局はあれこれ試しつつ、直感に従ってじぶんに合った方法を選んでしくしかないのでしょう。それすらも固執せず、ある時期が過ぎて効果が感じられなくなったら、継続するか方法を変えるか、その都度判断していく。めんどうくさいけれど、結局これが治るかどうかはともかく、自分にとっては納得できる病気や怪我とのつきあいかたのような気がします。

帯津先生は西洋医学に中医学やホメオパシーなど代替医療も取り入れ、東西医療の融合をめざすホリスティック医療の確立に取り組んでいます。わからないことはわからないと云い、医学的には実証されていなくても成果が上がっているものについては安易に切り捨てるべきではないと云います。アーサー・C・クラークが「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない」と云ったように、東西医療がもっと接近、あるいは融合することで、双方を補完できるのではないでしょうか。個人的にはそうあってほしいと願っています。

医療だってビジネスです。治療技術の水準が高いところを選ぶにこしたことはないけれど、昔から「医は仁術」というように、最後にして最大の決めては医療従事者の人間性ではないでしょうか。病気や怪我とどうつきあうかは、まさになにをどう考えて生きるかという命題とおなじことだとわかります。融通無碍でありたいものです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 自然科学
感想投稿日 : 2010年10月14日
読了日 : 2010年10月14日
本棚登録日 : 2010年10月7日

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