明暗 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.70
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本棚登録 : 1973
感想 : 126
3

 ひとりの主人公というのでなく、幾人もの登場人物が織りなす群像劇の趣。だが、読後も強印象を残し存在感が大きいのは、津田、その細君お延。理に勝り勝気な津田の妹、お秀。津田との関係はよくわからない吉川夫人。卑屈を凝縮したような不逞なたかり屋小林。そして、津田の以前の許婚で、急に翻意して他所に嫁いだ清子。これらの面々が、主要の登場人物。例えば、夫の津田からその細君お延に主客が入れ代わると、次の章ではお延の内面からの叙述に移る、という具合。それぞれの対話場面では会話の応酬に加えて、人物の内面がこってりと叙述される。本文庫版で650頁に達するボリュームは、この心理描写の厚みによる。
 例えば、
「だって延子さんは仕合せじゃありませんか。(後略)」(お秀)
 「ええ。其所だけはまあ仕合せよ。」(中略)(お延)
お延は自分がかりそめにも津田を疑っているという形跡をお秀に示したくなかった。そうかと云って、何事も知らない風を粧って、見す見すお秀から馬鹿にされるのは猶厭だった。従って応対に非常な呼吸が要った。目的地へ漕ぎ付けるまでには中々骨が折れると思った。 (百二十七章)
* * * 
かような具合だ。さらには、その“呼吸”の采配や、そのタイミングの細部。目的地に漕ぎ付けるまでの会話の普請、道程を詳述するのである。
背反して存在する感情の矛盾。心理戦の如き切り返しの瞬間。こうしたものが細密に書かれ、しかも切れ味がいい。
注解には「ねばねばとした人間どもの織りなす最高の心理小説」ともある。最高かどうかはともかくとして、女同士の感情のせめぎ合いを克明に描いてお見事である。
また「ねばねば」でもあるが、淡白の対極にある無遠慮で厚かましい人間どもが次々に押し掛けるてくる点で、鬱陶しい。( 津田は術後療養中だぞ!安静に休ませておけよ!と突っ込むことしばしばであった。)

かような鬱陶しさで、なかでも吉川夫人と小林は突出。夫人のお節介ぶりは度を越して迷惑千万。まるで娯楽を動機に、津田と清子の再会を画策。そうしなさいと迫る。
本作について、エゴイズムが主題であるとか、立身出世主義がテーマであるとする評がある。私が感じたのは、異なる価値観のせめぎあい、摩擦である。また、異な価値観や主張が折り合うことの無理、難しさである。
近代が開化し、個々の人間の意識や人生観も開化した。そうなった以上、こうした摩擦を解消することは出来ないのだ、という感じを抱いた。むしろ現代の方が、他者は他者、とする相互不干渉の処世訓や文化が定着している。明治期のこの当時がいちばん厄介だったのではないか。そして、津田のクールさ、ドライさには、一種現代的なものを感じた。

終盤、列車で東京を発ち、伊豆らしき温泉地へと舞台が移る。津田は清子のもとを訪ねるのだ。一対一の会話劇が続き、空間的に閉塞した感じが募っていただけに、文字通り風景が切り開かれていくような爽快な感じがあり、心地よい。
さらには、夜半に山深い温泉宿に到着してからが面白い。旅館は巨大な迷宮のような複雑な構造。人気が無く森閑としている。異境異界に迷い込んだような不可思議な趣がある。
温泉宿の夜を描いたこの章だけでも、いつか再読したいと思う。

津田は清子と再会。ほどなく、物語はぱたりと途絶。未完で終わる。
謎は、謎のまま残される。清子が津田から離れたのはなぜか? その後、津田と清子は、どういうやりとりを交わすのだろう。
私は今も、そのことに思いを巡らせている。
そして、清子の気持ちも、その後の二人の空気もなんとなく想像できる積もりでいる。そのため、この突然の幕切れも、これはこれであり、という気がしている。

*本作読了で、漱石の文庫化全作品を読了コンプリート。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説・文学 ( 国内・近代 )
感想投稿日 : 2017年4月23日
読了日 : 2017年4月22日
本棚登録日 : 2017年3月25日

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コメント 1件

マヤ@文学淑女さんのコメント
2017/09/23

フォロー、いいね!ありがとうございます(^^)
水村美苗さんの「続明暗」はお読みになりましたか?別の人が書いた続編なんて…と思っていましたが、読んでみたら予想以上に読み応えがありました。私も未完、完結にかかわらず物語のその後を想像するのが好きなのですが、他の方の考えた「その後」も興味深いなと。
津田のドライさが現代的というご意見にはなるほど!と思いました。先鋭的な作品だったのですね。
本の好みが似ているようでうれしいです。本棚、レビューゆっくり拝見させていただきます♪

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