風立ちぬ [DVD]

監督 : 宮崎駿 
  • ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
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本棚登録 : 1870
感想 : 360
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 映画の始まりの方で、二郎と呼ばれる少年が河原でいじめられている子をかばって三人のいじめっ子らに一人で立ち向かう場面が出てくる。その場面からあまり間を置かずに、先ほどの二郎少年が成長したと思しき丸眼鏡の青年が、混みあった列車のなかで中年女性に席を譲り、自分はデッキに出ていく姿が映される。二郎という人間が今も昔も変わらずに公徳心に溢れていることを示しているに違いないこのショットは、たとえそれがデッキへと移動した二郎が菜穂子に初めて出会うきっかけを与えている場面としてそこに置かれているのだとしても、あまりに記号的にこの二郎という人物の人の好さを描いていやしまいかというおそれがある。もちろん作中で二郎の親切心がいつもこのように無批判に受け入れらているわけではないということは、たとえばシベリアのエピソードを観れば分かる。餡子をカステラで挟み込んだ甘味シベリアを仕事帰りに夜食として買い求めた二郎は、路上で親の帰りを待つひもじそうな顔の子供らに今しがた買ったばかりのシベリアをあげようとするが、もの欲しそうにそのお菓子を眺める弟とは対照的に赤子を背負った姉の方は口をへの字に曲げて二郎をにらみつけるばかりで、結局その「施し」を受け取ることなく弟の手を引いて足早に去っていく。その話を社員寮で聴いた同僚の本庄はいわば現実主義者の憎まれ役として、二郎の行いに対して「偽善だね」と冷や水を浴びせる。日本中の子供らにシベリアを食べさせられるだけの大金を使って自分は(二郎とともに)ユンカーズ社の飛行機工場視察のためドイツへと赴くのであり、そうした自分たちの置かれた特権的地位を自覚して精進せよと二郎に説諭した本庄は、二郎の批判者として彼とは対極的な見方を保持し続けることだって出来たはずなのに、そうはならずにむしろ彼の義侠心にほだされてお互い高め合っていこうぜってな話に落ち着くのは、観ていて拍子抜けしてしまった。より正確に言えば、二人が決定的に対峙することになりそうなきっかけを執拗に摘み取りながら映画は進行するので退屈なのである。
 たとえば、初めて飛行機の設計責任者に任命された際、二郎は同じ開発チームのメンバーとして最初に本庄の名を出すが、同期の本庄は仕事の上で二郎のライバルであり、そんな二人が同じチームで立場に優劣のついた状態で仕事をするのは不和の火種になると、上司の黒川が世間知(?)を発揮してこの要求を却下する。この後、二郎とは別に爆撃機の設計を任された本庄は、二郎から自分が担当する未完の飛行機の部品のアイディアを流用するよう勧められるが、先に二郎が飛行機を完成させるまではそのアイディアは使わないと、彼の親切な申し出を断っている。ここは本庄の高潔さと、優れた飛行機を作るためならば自分の成果を無償で差し出すのも厭わない二郎の飛行機愛とが際立つ場面ではあるが、飛行機制作という共同作業において必ず生じるであろう人間関係のゴタゴタが、人の好い二郎と彼を取り巻く優しき人々との間にはほとんど生じずに済んでいることの嘘っぽさに目をつぶることの出来なかった私は、どうにも白けてしまった。(飛行機設計にあたって二郎のアイディアが盗まれたり、試作機のパイロットが何人か死んだりしたほうが話としては面白くなると思う。二郎の人の好さをもっと本気で試し、踏みにじってくれー!)
 お話の方も二郎の夢(飛行機設計という大仕事)と恋愛との間の拮抗がないに等しいので、えらく間延びした印象を受けた。最後に仕事を取るか愛に生きるかという大決断を下すのは菜穂子の方であり、死すべき病としての結核であり、戦争という避けがたい運命であって、二郎が自分でした選択がもたらす責任や障害に向き合うということがない(免除され、また回避されてもいる)ので、同情も共感もしづらくなっている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: DVD
感想投稿日 : 2020年5月13日
読了日 : 2020年5月18日
本棚登録日 : 2020年5月12日

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