高田郁作品、2冊目。
「刀で命の遣り取りして決着をつけるのが侍ならば、智慧と才覚とを絞って商いの上で決着をつけるのが商人や。」だから、仇討ちをお金で解決!という訳でもないでしょうが、寒天問屋・和助の懐の深さに圧倒されました。お金に執着するわけではないが、天満宮への寄進は、最期(商売を終える)までの目標のような商人魂にも。こんな感じが、私たちの根底に流れている生きざまなのかも。
寒天の良さと可能性を聞いた松吉が、寒天作り、練羊羹作りに挑む姿にもは、半分呆れながらも半分羨ましく感じる。餅は餅屋なのか、専門職でないゆえの優柔さ、大胆なアイデアだろうか。一所作ごとにその工夫がみられるが、反面時間がかかり過ぎる気(専門家ともっと共同してやろうよ)もする。ただ、そんなことが許される時代だったのでしょうか。
一部の登場人物を除いて、ほとんどが、人にやさしく、思い込みがあり、自分の仕事に誠実で、一生懸命。みんなで共同してゆかなければ(天災や火事などが多い時代ゆえ)生きてゆくことが難しい時代だからことなのかもしれないが、今の私たちにかけているものをいっぱい(当たり前のように)持っている、そんな想いを感じさせれらました。
印象的なフレーズは:
★寒天を商うお前はんが、その寒天の良さに気づいていない。それやのに寒天問屋で寒天を売らなあかんのはしんどいやろう、可哀想や、といわれたからなんや
★始末、才覚、神信心――この三つのうち、どれひとつかけたかて店を大きすることはおろか、保っていくことさえ難しい
★私、初めて、あの火事で生き残ってよかった、て思えた。今日、初めて
★商いが上手いこといってると、何や景色まで違ってて見えるもんやな
★一里の道は一歩では行かれへん。けんど一歩一歩、弛まんと歩き続けたら、必ず一里先に辿り着ける。お前はんは、もう歩き出したんや。転んだなら立ち上がったらええ。簡単に諦めたらあかんで
- 感想投稿日 : 2021年3月16日
- 読了日 : 2021年3月11日
- 本棚登録日 : 2021年3月10日
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