時代は、島原の乱鎮圧後、切支丹禁制厳しい鎖国日本。ポルトガルの若き司教達が、残された教徒の為、密入国を企てる。
その一人、ロドリゴ司教の書簡の形をもって、物語は語られる。
当然、信徒も救えぬ、過酷な状況が待ち受ける。
「救い」とは、信仰の懐疑。
「沈黙」を続ける神。
キリスト教のみでなく、全ての信仰の限界点。
役人に対峙した、パードレ・ロドリゴは言う。
「強制的な情愛の押し売り」かと。
そうなのだ。一神教は他宗教を認め難く、他国でも、その地の教会を破壊したりしてきた。
布教された他国は植民地化されたりもした。
日本でも、日本人を奴隷として引き渡すことさえあったという。
役人は言う。
「日本は沼地なのだ。布教の根は腐る。」
日本は、西欧が考えていたものとは、違うであろう、
文化歴史、宗教観とも確立したものがあった。
随分若い頃、一度読んでいる。その時は、強固な信仰心に、改宗の強要に屈しない強さに、感動したが、拷問表現の凄惨さに、最後まで読めなかったと思う。
最後にロドリゴ・パードレは
神は沈黙していたのではなく、一緒に苦しんでいたと悟る。しかし、それは敬虔な信仰と過酷な経験を経ての悟りであろうと思う。私には「沈黙」が続いている。
感想と感情が入り混じってしまうが、著者が洗礼を受けた信者でありながら、信仰に対する疑問を投げかけ続けているのは、キリスト教を日本にカスタマイズしたかったのではないのかと思ったりする。
日本人の希薄な宗教観の批判を時折聞くことがあるが、薄いだけでなく、広いところに良さがあるのでは、と思うのよ。
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- 感想投稿日 : 2022年2月14日
- 読了日 : 2022年2月14日
- 本棚登録日 : 2022年2月14日
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