スタニスワフ・レムの「ソラリス」である。
タルコフスキーの映画は何度も観ていて、その度に心地よく寝る。でも面白い。「退屈」と「面白い」というのが両立する不思議な映画だ。
面白い映画なのに寝ることをレム睡眠と言う。嘘です。
原作のハヤカワ文庫版「ソラリスの陽の下で」のほうは、どうせ小難しくって退屈なんでしょ、と長らく積読状態のまま、どっかにいってしまった。新訳が出た時に買ったものの、やっぱりそのまま…。今回、ディック、ティプトリーと読んだ勢いで手にとる。夏だし、海だし。
間違ってました。普通に面白いです。
解説によると、レムはタルコフスキーの映画は気に食わなかったようで「お前は馬鹿だ」と言い放ったとか、ソダーバーグの映画には、「私の書いたのは『宇宙空間の愛』じゃなくて『ソラリス』なんだよ!」(要約)とかなりご立腹。
でも、作者がなんと言おうとこれは「愛」の物語でしょう。
ソラリスステーションにやってきたケルヴィンの目の前に現れる10年前に自殺した妻ハリー(しかも不死身)。
過去の妻ではないとわかっているからこそ、愛している、という主人公。
そして、自分が偽物だと気づき悩むハリー。
「自分は本物なのか?」というディックでおなじみのテーマをまったく違ったロマンチックに見せてくれる。
手紙の署名を一旦書いて塗りつぶすところなんてもう切ない。
この二人の恋愛が「絶対的他者」とのコミュニケーションのメタファー……じゃないな。
「人間形態主義」「人間中心主義」として批判されるが、そこからはみ出して理解することはできない(認識することはできても)。そこからはみ出すと「神秘主義」「宗教」になる。あ、だから「欠陥を持った神」の概念か?
そういえば、タルコフスキーの映画化している「ストーカー」の原作も、絶対的他者としての異星人とのファースト・コンタクトものだった。
あと、ふと思ったのは、怪談「牡丹灯籠」。
- 感想投稿日 : 2013年7月5日
- 読了日 : 2013年7月4日
- 本棚登録日 : 2013年7月1日
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