べつの言葉で (Crest books)

  • 新潮社 (2015年9月30日発売)
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本棚登録 : 822
感想 : 71
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新潮クレスト・ブックスはどれもシャレオツ装丁なのですが、とくにこの本は表紙写真とタイトルのインパクト、そしてなにより「ジュンパ・ラヒリ」という呪文のような美しい著者の名前によって印象に残っていました。

ベンガル人の両親をもち、アメリカで育ったラヒリが、ベンガル語とも英語とも自分の母語としては違和感をもちつつ、ローマに移住し、イタリア語で綴ったエッセイ。

英語で書いた作品によって作家として成功しているラヒリにとって、別の言葉で何かを語るというのは、もう別の人間になるようなもの。
言葉をめぐるエッセイというよりは、ひとりの女性が自分のアイデンティティを探しながら語る文学論のようでした。

もちろん私はこれを日本語で読むわけで、原本が英語であってもイタリア語であっても違いはわからないだろうと思っていましたが、ていねいに選んだであろう言葉、文体は日本語で読んでも美しく、おそらく使い慣れた英語ではなく、イタリア語で書いたからこそ、より彼女らしさが出た文章なのだと思います。

以下、引用。

何がわかるのだろう? 美しいのはもちろんだが、美しさは関係ない。わたしとつながりがあるに違いない言語のような気がする。

わたしはローマにまだ友人はいない。でも、誰かに会いに行くのではない。生き方を変えるため、イタリア語と結びつくために行くのだ。

ていねいにゆっくりと、苦労しながら読む。どのページもうっすらと霞がかかっているように感じる。障害はわたしの意欲をかき立てる。新しい構文がどれも奇跡のように、知らない言葉がどれも宝石のように感じられる。

ばかげた話だが、この単語の意味を知ることでわたしの人生は変わるだろうと確信する。
人生を変えることができるものは、常に自分以外のところにあると思う。

人は誰かに恋をすると、永遠に生きたいと思う。自分の味わう感動や歓喜が長続きすることを切望する。イタリア語で読んでいるとき、わたしには同じような思いがわき起こる。わたしは死にたくない。死ぬことは言葉の発見の終わりを意味するわけだから。毎日覚えるべき新しい単語があるだろうから。このように、ほんとうの愛は永遠の象徴となり得るのだ。

なぜわたしは書くのか? 存在の謎を探るため。わたし自身に寛大であるため。わたしの外にあるすべてを近寄せるためだ。

橋を何度も渡っていると、わたしたちの誰もがこの世で行っている、誕生から死に至る旅のことが心に浮かぶ。橋を渡りながら、もうあの世に着いたのではないかと思うこともある。

「新しい言語は新しい人生のようなもので、文法とシンタックスがあなたを作り変えてくれます。別の論理、別の感覚の中にすっと入り込んでください」

わたしは一人ぼっちだと感じるために書く。小さな子供のころから、書くことは世間から離れ、自分自身を取り戻すための方法だった。わたしには静寂と孤独が必要なのだ。










読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年4月15日
読了日 : 2020年4月15日
本棚登録日 : 2020年4月15日

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