蜩ノ記

著者 :
  • 祥伝社 (2011年10月26日発売)
4.00
  • (311)
  • (464)
  • (228)
  • (31)
  • (6)
本棚登録 : 2355
感想 : 436

江戸時代豊後の架空の小藩羽根藩を舞台に、奥祐筆だった庄三郎は、不始末がもとで、切腹のところを罪一等を免じられ、7年前に事件を起こし山村に幽閉され、家譜を書くことを命ぜられていた元郡奉行の戸田秋谷の補助、および監視を命ぜられる。最初は馴染まず、家老や筆頭祐筆の顔色をうかがっていたものの、次第に、秋谷の高潔な人柄、正しいことを恥じずに生きる姿勢に心惹かれ、秋谷が起こしたとされる事件にも疑いの目を向けていく。村でのさまざまな事件や家譜の作成が進められていくうちに、次第に真相があきらかになり…と。ひっかかるとすれば、信念と先見の明で幽閉中の身ながらも打てる手を先手先手で打ってきた秋谷が、拷問も辞さない役人たちの到来を予期しつつ手を打たなかったこと。いっても詮無いことではあるけれど。ただ、信じた道を突き進み、関わるものを心服させ、心には心をもってし、最初から穏やかではなかったにしろ、ある時点で腹をくくり、最後は従容と…いったたたずまいは心にのこる/「ひとは誰しもが必ず死に申す。五十年後、百年後には寿命が尽きる。それがしは、それを後三年と区切られておるだけのことにて、されば日々をたいせつに過ごすだけでござる」p.21/「だが、先の世では仕組みも変わるかもしれぬ。だからこそ、かように昔の事跡を記しておかねばならぬ。何が正しくて何が間違っておったかを、後世の目で確かめるためにな」p.46/「疑いは、疑う心があって生じるものだ。弁明しても心を変えることはできぬ。心を変えることができるのは、心をもってだけだ」p.126/「あのように美しい景色を目にいたしますと、自らと縁のあるひともこの景色を眺めているのではないか、と思うだけで心がなごむものです。生きていく支えとは、そのようなものだと思うております。」p.180/心空及第して等閑に看れば、風露新たに香る隠逸の花 p.186/「あの日のわたしはどうかしていたと思うが、いまになってはどうしようもない。江戸に出て学問をして学んだのは、おのれを顧みるということだった。古の聖賢の教えを学べば、いまからどのように生きねばならぬかがわかってくる。わたしは歩むことになった道を前に進むだけだ」p.203/「さようなことは自分で申せ。友とはいつでも心を打ち明けて話せる相手のことだぞ」p.229/「善行からは美しき花が咲き、悪行からは腐臭を放つ実が生るとな」p.243

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2016年1月24日
読了日 : 2016年1月24日
本棚登録日 : 2016年1月24日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする