宇喜多直家・秀家: 西国進発の魁とならん (ミネルヴァ日本評伝選)

著者 :
  • ミネルヴァ書房 (2011年1月1日発売)
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感想 : 5

木下昌輝「宇喜多の捨て嫁」に触発されて手に取る。宇喜多能家、興家と直家の前半生までは、本当にほぼ軍記物しか史料がないんだな、との事。それも含め、直家の生涯を眺め渡すと、梟雄、謀将、裏切りというのは脚色の範囲で、冷静に検討すれば、経済基盤確立、宗教政策、婚姻政策と行政手腕を発揮し、裏切ったとされる宗景とも対等と言える同盟関係であり、騙し討ちも他の戦国大名もやっていた範囲でのことだった、と。以下、備忘録的に。/浦上政宗・小次郎親子の暗殺に伴い、小次郎の弟清宗が江見河原五郎らに擁立された。/1569年には、信長による浦上宗景への討伐。その頃、直家は、今井宗久を通じて信長に服属の意志。「同名衆」、宇喜多姓、浮田姓も同意した、と。/1573年、信長から宗景へ、播磨備前美作の朱印=支配権を与えた。それをきっかけに直家は宗景と決別を宣言/1575、赤松則房、広秀、小寺政職、別所長治、浦上宗景が信長へお礼言上/1577、毛利に命じられ直家は、赤松広秀の拠点龍野へ攻めこむ。しぶとく抵抗され、麦刈りを実施。/

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2016年6月10日
読了日 : 2016年6月18日
本棚登録日 : 2016年6月10日

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