都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌―

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  • 世界思想社 (2011年3月1日発売)
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タンザニアの都市路上零細商人マチンガ。彼らがウジャンジャ(狡智)を駆使して、不安定で不確実な日々の生活を生き抜いていく様、その論理を明らかにしようという試み。/「うまく騙し、うまく騙されることができること人間こそ仲間なのだ」「かるめとることを覚えなければ泥棒になる」「彼らも商売をしているのだから、仕方がない。生活のためのカネを稼ぐのに嘘も騙しもあるものか」(マチンガたちの声)/その生活世界は流動的で多様で流動的。商慣行は、口約束だけの信用取引(マリ・カウリ取引)。マチンガどうしの関係は、流動的に職を転々とし、好機があればいつでも職・場所を変えるかわからず、現住所・本名・出自も正確に知り得ないまま取り結んでいる関係(p.76より)/なぜ、卸商は信用ならないもの、騙すものとより商関係を結ぼうとするのか。ウジャンジャに基づいて行動できるものは、こちらの要求、無意識のシグナル、客とのやりとり、交渉、商機をとらえること、お互いの状態を理解し合うことについて高い能力を有していると判断するから、と。そして、新たにやってきたものへの教育は、基本、放置。彼らが自分なりに新しいポーズ/スタイル(得意分野、やり方など)を打ち出したら、尊重し邪魔せず協力はする、といったもの。/「ウィットが効いた皮肉で、相手を思わず笑わせる」「卑屈におだてるのではなく、大胆に誰でもわかるゴマスリをし、相手を閉口させる」「必死に道化を演じて、相手にむしろ哀れだと思わせる」「あまりに非常識な田舎者や何を言っても動じない頑固者でありつづけて、相手にもうお手上げだと降参させる」というのは、ウジャンジャな交渉術の真骨頂である。p.169/マチンガにとってのウジャンジャの発揮には「制限」がある。それが「盗み」「詐欺」に思える場合でも、基本的に、事後的になんとかごまかせたり、許されたり、取り返しがついたりする範囲内の「かすめてとる」ではないか。マイナスの意味だけでなくプラスの意味でもあくまで非計画的、非建設的なものではないか(p.147より)/マチンガのウジャンジャが発揮される際の特徴 1.商人間で各々の役割を瞬時に判断すること 2.客の期待することを演じること 3.癖を技化すること(スタイルを応用すること) 4.「リジキを判断すること」(お互いにとって生活を営む最低限のラインを了解すること)(p.156より)/「ふだんからオレを騙そうとする小売商のほうが、断然扱いやすい。何も不満を言わず、生活補助も要求しないような田舎者の小売商は、持ち逃げしやすい。彼らはオレたちが言っている嘘や要求にも気づかない。オレが困難を訴えてもうまく動けず、突然、怒りだしたり、いなくなったりする」(p.181-182)/小売商は、ウジャンジャを駆使して、困難や不満を中間卸売商に訴え、「仲間」としての共感にもとづいた値下げや生活補助を引き出す。中間卸売商はウジャンジャを駆使して、小売商に「仲間」としてこちらの事情に気づくことを求め、ときには売りにくい古着を販売させる(p.186-187) やりすぎるとどちらかに不満がたまるし、うまくバランスをとることが求められ、バランスが崩れると即、離れてしまう、緊張感をはらんだ関係に思える。/生活の必要や有用性に限定された便宜であるという理由で、彼らはウジャンジャなかすめとりを詐欺や盗みとは異なるものにしている。(p.328)//現代日本と対比するなら、その厳しさ、緊張感の持続、絶え間なく頭を働かせ、機会をとらえ、隙あらば食い入っていかなければいけない。現に、ウジャンジャを発揮しての暮らしというのも、若いうちの特権という一面もあるようだ。ただ、だからこそ、機会があればまずやってみる、やってみないとはじまらないという起業家的なマインドは、より発揮されているように感じる。ベースとなる社会の安定性の違いがあるからどちらがいいかなんて一概には言えないけど。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2015年2月20日
読了日 : 2015年2月28日
本棚登録日 : 2015年2月20日

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