塚本邦雄の短歌→どこかオモチャのようである
斎藤茂吉の短歌→まったくオモチャのようでない
こういった印象の違いについて言及されている。
「作品の説得力とは、それ自体が独立して存在することはあり得ず、常に読者に対する説得力ということでしかないはずだ。」
とあるように、それらの印象はまさに我々がものを読み考える<原理>、基盤がどうあるかに依存してるのだと思う。読み手としてもっと先に行くことを考えなければ、書き手として先に行くこともたぶんできないだろう、と思った。<近代>的な生のかけがえのなさの原理を塗り替えていくような表現は、どこかで生まれてるんだと思う、きっと。それだけ、生というのは普遍的なものであるともまた言えるけれども。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
2012
- 感想投稿日 : 2012年2月2日
- 読了日 : 2012年2月2日
- 本棚登録日 : 2012年2月2日
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