多くの建築家が都市に対して閉じこもる住宅を求め、「住吉の長屋」や「中野本町の家」が脚光を浴びていた時代から現代に到るまで。時代と建築家の感性の変遷を作者の作品の変遷を介して少し感じることができる。
住まいとはどうあるべきか。人と切り離された<対象物>ではなく、かつての民家のような<空間的環境>となれるように、社会的・歴史的な意味による安易なイメージが介在することを慎重に回避しようとしている。その感覚にとても共感した。だが意味の回避に拘泥することが、結局意味を生んでいるような気もする。
私には、それが言葉による思考の短所であるように思われてしまうが、言葉を主要な武器とする氏の流派に対してはあまりにチープな批判なので、あくまで個人的感想として書き留める。
意味を否定する中で唯一認められている「構成」という概念は興味深い。それは建物という書物が、単に視覚や触覚、知識によってではなく、日常の生活として袖を通してみて初めて読み取られる一つのストーリーのことを指していると思われるからだ。
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- 感想投稿日 : 2012年3月21日
- 読了日 : 2008年7月18日
- 本棚登録日 : 2010年9月18日
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