光る牙

著者 :
  • 講談社 (2013年3月7日発売)
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本棚登録 : 99
感想 : 23
5

 デビュー作『焔火』のある意味でセンセーショナルと言うばかりの舞台設定、時代設定を試み、東北の山岳地帯に神話的世界を構築してみせた、吉村龍一の第二弾。いい意味で裏切られた感じはするが、現代社会を舞台にした山岳小説である。

 もちろんこの作家特有の異色さは全面に出ているけれども、むしろ巨大羆との死闘というシンプルな物語こそが、透徹した文体を武器に持つ吉村龍一という作家にはとてもフィットした感があって、前作ほど異形の者たちが多数出現することもなく、よってデビュー作の空気中に漂っていた毒気の類は、むしろ凛とするばかりの冬山の自然の透明さの中で、濾過され浄化され、神の領域に一歩近づいた気配さえ醸し出される。

 一方でとても人間の領域に近づいた部分もある。主人公である若き森林保護官の成長の物語でもあるのは、上司・山崎という個性的で完成された印象のあるベテラン職員との師弟関係に見られるところが大きい。特につかず離れずの距離感や、上司の現代的な娘へのほのかな恋心など、現代の普通の男性にありがちな共鳴性など、前作よりもずっと日常の側に、作品が近づいてきたイメージを、軟化と捉えるか成熟と捉えるかは、読者のそれぞれの判断、あるいは次作の出来栄えを待ちたい。

 されそうした日常の側に住む主人公青年が、冷徹で酷薄極まりない冬の日高山脈と、そこに登場して強烈な積極的関わをを示してきた人喰い羆によって、日常の側から、かつて見たことも経験したこともない苛烈な死闘のさなかに放り込まれ、ミキサーにかけられ攪拌されたかのような状態を経験することになる。

 前作に引き続きとても物語性が込められたスケール感の巨きい小説であり、それらを描き切る簡潔明瞭な文体は、この大自然の荘厳と究極の死闘を描くに相応しい。地元猟友会の趣味的鉄砲撃ちたちや、権力にものを言わせる違法狩猟者、カルトの皮を被って自然を踏みにじる詐欺師等々、大自然の神々を怒らせるような存在が、小説中に次々と登場するが、白き巨大羆の光る爪とそのもたらす暴力の凄まじさは、大自然の主を対照的に象徴し、卑小な人間界や罪深く貧しき精神を嘲笑い、憤ってゆくかに見える。

 人間界を代表する純粋なものに肉体性を感じさせ、飽くなき努力を重ね作り上げてきた体力や、経験に基づいた知略を見せる山崎という師の姿は、前作『焔火』の破戒僧・青雲海とだぶるところがあり、その理想的な人間性に近づくために試練をくぐり抜けねばならないのが、主人公・孝也である。

 圧倒的な力で勝る羆と、非力な人間たちの知略が、冬の山岳を舞台に、文字通り火花を散らす。息遣いが聞こえてきそうなほどの迫力文体で綴るこの冒険譚の世界に是非、足を踏み入れて頂きたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 山岳小説
感想投稿日 : 2013年4月28日
読了日 : 2013年4月28日
本棚登録日 : 2013年4月28日

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