まずこの本を入手したきっかけを書いておく。「『教養』研究」のレビュー論文である綾井(2015)において、サイードの別の著書から2か所引用されており、当該分野の基礎的な研究を行った人文学者として扱われていたことにあった。ただその本より先に代表作である本書を読むことにした。表題のとおり、知識人とその「表象」活動に着眼した文献研究であるが、講演録がベースになっており比較的読みやすい。知識人の在り様を探るというより、学問論の視点を持ちながらページをめくってみた。
サイードが先達の知見を踏まえて考えた知識人とは、「亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手」(p.20)であり、以下のような人々と異なる立場にある。具体例としては、インサイダー、エキスパート(専門性を持った人)、ジャーナリスト、通人、プロフェッショナル(専門家)、コンサルタント、シンク・タンク、いわゆる権威筋に属する人たちが挙げられる。
読み終えて得られたことは、アマチュアとしての研究の取り組み姿勢の具体的なイメージと、これから進めようとしているプロジェクト推進のためのいくつかの参照枠―知識人と大衆論、ニヒリズム、他者のアイデンティティや文化を排除する「側(サイド)の発想」(p.218:姜尚中による解説)―だった。またオルテガが『大衆の反逆』で専門主義の野蛮性を説いていることを思い出した。
引用文献
綾井 桜子2015『教養』研究の現状と課題—学校化された教養を問うために 「教育学研究 」82(1) 日本教育学会
- 感想投稿日 : 2016年11月12日
- 読了日 : 2016年11月12日
- 本棚登録日 : 2016年11月11日
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