ウッディアレンらしい会話劇であり、人間の業や哀れさを鋭く描きながら、面白おかしく表現した職人技のコメディー。この映画、舞台にしても面白いと思う。
現在と回想のシーンかなり細かく交互に描かれるのに観ていて混乱することがない。
しかも、今から回想ですよ?という思い出すようなシーンも全くなく、突然現在と過去がシーン切替で現れる。
普通はこんなシーン切替すると何が何だか分からなくなるもの。脚本と撮り方が絶妙なので、違和感がなく観れる。
タランティーノの「パルプフィクション」も現在、過去が入り乱れながらそれが面白さになっていたが、こちらも同様。過去が段々あらわになりつつ、現在の状況も進んでいく。スリル感がストーリーをぐいぐい引っ張る。
登場シーンも、ラストシーンも主人公のケイトブランシェットは独り言をしゃべるおかしな女なのだが、全然印象が違う。登場時は「全身ブランドづくしの変な女」なのだが、ラストはある意味、「私たちの」主人公であり、どこか自分を映し出してしまっている孤独な主人公に同情してしまっている。
自分に自信がなく、自分に何もないとうすうす気付きながらも、現実の自分に向き合えなく、理想の自分を信じてしまう。主人公は美しいが為に、安易に金持ち男と付き合うことでかりそめの夢をかなえてしまう。
誰もが自分が特別で何者かだと思いながら、日々の生活の中で、何でもない自分を感じ、ギャップに苦しむ。主人公のケイトブランシェットが、ただの嫌な女ではなく、なぜか親しみを持ち始めてしまうのはそんなところだろう。
主人公も、妹もなんと活き活き(?)としていることかアニメのキャラクター並みにはっきりとキャラが分けて描かれて、お互いを際立たせている。
この2人の演技、実在感のある女らしさが、どうしようもない男たちに囲まれながらも、きらきらと輝いている。ドン詰まりの彼女たちなのだが、哀愁に包まれながら輝いているように見える。
全く違う映画なのだが、チャップリン「街の灯」、溝口「西鶴一代女」のような、非常に厳しく悲しい現実なのだが、人間の底力を信じたくなるような、そんな映画だと思えた。
- 感想投稿日 : 2018年3月5日
- 読了日 : 2018年3月5日
- 本棚登録日 : 2018年3月4日
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