大変勉強になった。
わかりやすい文章で、読みやすくて面白い。
「目の見えない人は世界をどう見ているのか」考察していくことで、見える自分にとっての当たり前を離れ、「変身」することができる。
そもそも目が見える人だって正確にものを見ているわけじゃないし、みんながみんな同じものが見えてるわけじゃない。その人が見たいものしか見てないし、意識してなかったりする。
見えない人に対して、印象派の絵について美術館員さんが説明するとき、最初湖のある絵で…と言いかけ、いやちがいました、野原の絵でした。といったやりとりが面白くて印象に残った。
本書の中で、なぜよく絵を見ているはずの美術館員さんが野原の絵を湖の絵だと勘違いしていたのか、筆者が考察していてこれも面白かったので読んでみてほしい。
いいだしたらあれもこれも、、見えない人は「道」に制限されていない・翻弄されない話や、点字は触るものではなく読むものだという話、見えない人と見える人が一緒に美術鑑賞をするソーシャル・ビューの話、どれもこれも面白い。
そして最後は見えない人の「ユーモア」について触れる。ユーモアについては、見えない人に限った話でなく、誰にでもためになる有効な話だと思った。そして自分は見えるくせに視野が狭い、そう思った。
とはいえ弱視や全盲とはまったく違う世界を生きているとはいえ、自分もド近眼。眼鏡がないと生活できないので、眼鏡が開発されていなかったら立派な障害者ですね。老若男女問わずかなりの人がそうだとは思いますが。そういえば眼鏡をかけないと見えない人と、眼鏡もコンタクトレンズも使わなくていいほど視力のいい人とも、少し世界が違うなあと振り返って思いました。目がいい人がよく眼鏡外した人に指を何本か出して見せて「これ何本に見える?」なんて定番のやりとりですよね。世界が違うからこそのやりとりかな。
あとは障害という言葉…特に表記について。障害者の意味をよくよく考えると、見えないことが障害なのではなく、見えないことで日常生活に支障がある・できないことがあるのが障害なんですよね。
その意味を考えればこそ、"「障害」と表記してそのネガティヴさを社会が自覚するほうが大切ではないか"と著者は言っていて、これはとても大事なことだ、と感じました。
著者も語っていましたが超高齢化社会である日本では、かなりの人が障害者に相当する。この本はコロナ前なので語られていませんが(コロナ禍でも語られたかはわかりませんが)、個人的に、若者でもコロナの後遺症で日常生活が送れなくなる人が増えてくることをも考えると、より社会がどう変化していくべきか考える必要があるなと。考えて、それで大きなことでなくても何ができるだろうと、つい考えてしまいました。
何はともあれ、本書を通して世界が広がったことに感謝。
- 感想投稿日 : 2022年3月12日
- 読了日 : 2022年3月11日
- 本棚登録日 : 2022年3月11日
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