僕らのご飯は明日で待ってる

著者 :
  • 幻冬舎 (2012年4月25日発売)
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感想 : 410
4

「僕らのごはんは明日で待ってる」というタイトル
この日本語、おかしいよなと引っかかっていたが、最後まで読んだら、 このタイトルの意図するところが分かった

思ったようにいかないことも多い人生だけど、ごはん食べよ、しっかり足踏ん張って生きていこうという瀬尾さんのエールを込めたメッセージのような気がする

各章のタイトルも、首をかしげたくなるものばかり
「米袋が明日を開く」
「水をためれば何かがわかる」
「ぼくが破れるいくつかのこと」
「僕らのごはんは明日で待ってる」

大切な家族を亡くし、人との交流を拒み、いつも黄昏ていた葉山亮太と両親の顔も知らない上村小春、重い背景を背負っている二人。
米袋ジャンプがきっかけで付き合い始めた二人の軽妙なちょっとトンチンカンな会話がまさに瀬尾ワールドでおもしろい。
いつも強気で男前、高ビーな上村、しばらく人との交流を絶っていたので付き合い方が分からない葉山が、オタオタとついていく名コンビ
葉山は、いつの間にか、人の意見に反対することなく、自分を主張することなく、すべてを受け入れるので、イエス・キリストのようだと、イエスのニックネームまでついた

言わば、各章のタイトルは、二人が相手を理解し、自分にとってなくてはならない存在だと確認していく過程のように思う

甘酸っぱい初恋を成就させ、ゴールイン

両親の愛に恵まれなかった上村は、絵に描いたような幸せな家庭を築きたいと願う。生まれてもいない子供の名前を夏生と育生とゆり子と決め、その日を待つ二人なのに、神様は何て残酷なんだろう

4章の婦人科の病室の描写、次々と転移を繰り返す山崎さんが薄味で量ばかり多い白飯にふりかけをドサっとかけてくれるシーン
上村が手術室に入っていくのを葉山が見送るシーンなど、胸が締め付けられた

退院して二人で帰る道すがらの小春の言葉
もう小春は、自分の子どもを抱くこともできない
「とりあえず、誰かの子どもを育てるのも誰かに子どもを産んでもらうのもしない。猫も犬も飼わないし、金魚もインコも世話しない。本来三人の子どもに注ぐはずの愛情を、イエス一人に向けるんだから、イエスは重くてうんざりするだろうし、そのせいで何回もどろどろするだろうし。・・・そのうちはげるし太るしだらしなくなるし大変。だけど、それでも、イエスだけに気持ちを注いだっていいんじゃないかって思う。そんなことを手術中ひたすら考えていたんだ」

「入院して思ったんだ。会いたい人とか一緒にいて楽しい人って何人かいるけど、でも、いろんなことを平気にしてくれるのはイエスだけだって。イエスがいたから点滴なんて朝飯前になったし、あんなに恐ろしいって思っていた手術も余裕だった。なんでも大丈夫にしてくれるのは、イエスだけだよ。そう思ったら十分一緒にいる意味がある」

わあ、読んでいて、恥ずかしくて頰が赤くなりそう
北川悦吏子さんのドラマのセリフみたい
でも、おばちゃんはこんなのに弱いんだなあ
何歳になっても、こんな言葉を信じたい乙女でございます

☆とりあえず俺は、道頓堀川みたいになろう。見たこともない川だけど、濁っていてもよどんでいてもかまわない。どんなややこしいことでも飲みこめる水をたたえられるようになりたい
この言葉も沁みる

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2020年3月31日
読了日 : 2020年3月30日
本棚登録日 : 2020年3月29日

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