刊行は1960年。今では当たり前のように使われる「ストーカー」という言葉は、当時でも頻繁に使われていたのだろうか。日本では90年代まで、警察の民事不介入により取り締まることができなかったという。これが書かれた頃は、まだストーキングという行為は認知されていなかった時代かもしれない。
主人公のデイヴィットがひたすら愛し続けるアナベルは、既に別の男性と結婚して子どもが生まれ、貧しいながらも幸せに暮らしていた。自分以外の男性と一緒にいてアナベルが幸せになれるわけがない、彼女は間違いを犯したのだと心の底から信じているデイヴィットは、今住んでいるアパートとは別に郊外に一軒家を購入した。そこはアナベルと暮らすための家具や装飾品などで揃えられ、彼は週末ごとにひとりでせっせとそこに通っていた。
今の自分とは違う自分。
そうなるべきだったのに、なぜかどこかで間違えてしまい、手にいれることができなかった幸せ。
彼はそのギャップを埋めるために、もう一人の人間を作り出したのだろうか。まるで現実の辛さから逃げるために、自分以外の人格を作り出すみたいに。
最初は気持ち悪く思ったり、彼の自分勝手さに腹が立ったりするのだが、彼がやがて色んなものに追い詰められていく様を見ていると哀れになる。他にも女性はたくさんいるのに、どうして彼女でなくてはだめなんだろう。
どうしてもどうしても好きな人。忘れたくても忘れられない人。そういう人がいたとしても自分のものに決してならないのなら、美しくも切ない自分の想いは、自らの汚れた靴で踏みにじって乗り越えなければ。
なんのひねりもないストレートな話なんだけど、だんだん現実の輪郭が歪んでゆく主人公が気になって、最後まで一生懸命読んだ。
- 感想投稿日 : 2021年3月2日
- 読了日 : 2021年2月18日
- 本棚登録日 : 2021年1月22日
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