神道とは何か - 神と仏の日本史 (中公新書 2158)

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  • 中央公論新社 (2012年4月24日発売)
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古代から近世までの日本神道史を扱ったもの。神道というと日本古来の宗教のように捉えられることもあるが、きちんとした宗教として成立したのは15世紀、吉田兼倶の吉田神道においてである。国学の流れの中で日本古来のものとして送り返された古代の神道は、多神教的・アニミズム的なカミ信仰で整ったものではない。このカミは祟りを起こす畏怖の対象として祀られたもの。

古代のカミ信仰は仏教の伝来によって、仏教との比較で位置づけられていく。一つにはカミも「衆生」の一つであり、輪廻や罪業に悩まされ、仏による救済を必要とする存在だとする捉え方。衆生の住む世界は六道、すなわち天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄であり、日本古来のカミもこの天に属し、仏の救済対象である(神身離脱)(p.39)。しかし737年に初出する八幡神(p.47)のように、仏に似た役割を担うようになる神もあり、これには菩薩の名が与えられた(八幡大菩薩)。こうした神仏習合が進み、やがて10世紀に神は仏の仮の姿であるという本地垂迹説に至る(p.55)。

こうして本地垂迹説のもとで、仏教諸説と神道を融合させて説明しようという両部神道、伊勢神道の流れが中世神道として展開する。このなかで著者が鍵とするのは、「神が我々の中に内在するという、中世が生み出した新しい観念」、「神観念のドラスティックな変化」(p.135)である。この神=心の考えは、吉田神道にて神道が成立するに大きな役割を果たす。

さてこの心神という捉え方は、人物(の心、魂)そのものを神として祀るという展開をもたらす。もともと、8世紀の長屋王、10世紀の菅原道真、12世紀の崇徳上皇と不合の死を遂げた人物の祟りを鎮めるために祀るということはあった。確かに藤原鎌足のような一家の始祖への信仰や、柿本人麻呂のような歌道の祖への信仰という形の(祟りによらない)人物信仰はあった。しかし著者の見るところ、近世以降の人物信仰は新しいものであり、それには吉田神道の心神という捉え方が影響している。この結果の信仰が豊臣秀吉(豊国大明神)であり、徳川家康(東照大権現)である(p.163)。

もう一つ、吉田神道の成立背景をなすのが13世紀より再興した日本書紀注解である。この中世日本紀が独自の系譜と神話を生み、仏教とは離れた独自の宗教としての神道の成立を生む。この日本独自の宗教体系としての神道、というアイデアは国学を経て、明治期の廃仏棄釈、そして軍国主義イデオロギーへと流れていくことになる。

というように本書は吉田神道の成立をピークとして、そこに至る様々な背景を追っていく。しかしどうも事項の羅列が多く、筋が見えにくい。「なお」「さらに」といった接辞で始まる文章が多発し、あれもこれも述べようとしている感があり、展開を追うのがやや面倒である。また、事項の展開はあれど、それがなぜ起こったのかについての説明は少ない。例えばなぜ本地垂迹説が起こってきたのか。神身分離で不足だったのはなぜなのか。伊勢神宮の宮司たちの心の救済の話が出てくる(p.73f)が、これが理由であるわけではない。したがって、事項は豊富だし、事項のつながりも押さえられているのだろうが、いまひとつ展開のつながりが見えない本だった。また、近代の展開や視点は極力排除した形で書かれている。それは現代の見方を過去に移入しない方法論の一つではあるだろうが、叙述を生き生きとさせるためにはやや譲ったほうがよい点のように思われる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 宗教
感想投稿日 : 2014年9月22日
読了日 : 2012年7月18日
本棚登録日 : 2014年9月22日

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