リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

  • 早川書房 (2009年5月22日発売)
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いまひとつ。タイトルからはリスクに過剰反応する人間の心理を描いた科学的な読み物に見えるが、これはジャーナリストの書いた本。様々なリスクに対するメディアの過剰反応を、実際の統計データや事実からどのくらい離れているのかを検証しつつ書かれている。例えば環境ホルモンと総称される化学物質や発ガン性物質、いまならエボラウイルスを始めとする未体験の感染病、小児性愛者を始めとする子どもへの犯罪、そして9/11を始めとするテロ。こうした事柄はメディアを多く賑わし、我々は恐怖を抱く。しかし冷静に考えるとリスクは他と比べてとても低い。

我々はどうしてこうした低いリスクを過剰に恐れるのか。恐れるだけならまだしも、こうした過剰反応は得てして政治的である。政治家は人々のこうした低リスクへの恐怖を煽って支持を得ようとする。また政策もこうした方向に影響を受ける。かくして、例えばもっと死者数の多い原因への対処に予算が使われず、低リスクの事象への過剰な対策に費やされる結果になる。つまり「病気の象の隣を小走りする甲虫」に対する「資源の誤った配分の結果として、数えきれない命が正当な理由なしに失われるだろう」(p.24)。こうした事象の事例集として本書はとても役に立つ。

著者の立てている問いは次に要約されている。

「私たちは歴史上最も健康で、最も裕福で、最も長生きな人間である。そして、私たちはますます怖がるようになりつつある。これは現代の大きなパラドックスの一つである。」(p.19)

この問いに対して本書は、まずリスクに過剰反応する人間の心理の仕組みを解説する。その解説はカーネマンなどの行動経済学に依拠している。つまりカーネマンがシステム1と呼ぶ、瞬間的に反応して修正が難しいヒューリスティックな思考の様式と、システム2と呼ばれる結果が出るのに時間を要し、学習可能な、ロジカルな思考の様式の区別だ。著者はシステム1を「腹」、システム2を「頭」と平易化している。そして主にシステム1の特徴をいくつかの原理を挙げて解説していく。例えばアンカー効果(本書では係留規則と呼ばれている)はよく書けている(p.51-62)。それから情動ヒューリスティック(良い・悪い規則)。これはリスクの評価に善悪の判断(と本書は書いているが、むしろ好き嫌い)が影響することだ(p.109-115)。例えば原子力のリスク評価がそれだ(p.101)。原子力発電所は「悪い(嫌いな)」ものだから、原子力発電所の事故により放出された放射線への被曝は、飛行機に乗って上空で受ける宇宙線への被曝や、医療診断での放射線被曝よりも健康リスクが高いと評価される。そしてもっとも大事なのは利用可能性ヒューリスティック(実例規則)。これは思い浮かべやすいものは実際にも起こりやすいと考える傾向だ(p.73-91)。こうした三つに代表されるシステム1の傾向が、リスクに対する我々の過剰反応の原因になっている。

ちなみに、利用可能性ヒューリスティックの解説で地震の発生と地震保険の販売数の相関が述べられる(p.73f)のは多少違和感がある。もちろん地震が起こると、地震に対する意識が高まり地震保険の販売が増える。それが利用可能性ヒューリスティックによるものであることは一面の真理だ。だが、ある大きな地震の発生は他のプレートや断層の構造に影響を与え、同じ地震源に属する余震ではなくて新たな地震源の地震をもたらすのも事実だろう。したがってそれは全面的には利用可能性ヒューリスティックによる過剰反応とは言えないのではないか。

ともあれ、こうしたシステム1の傾向を我々はもつが、それだけで上記の現代の我々のパラドックスが起こるわけではない。それが起こるのは、「恐怖を売り物にする商人に出会うとき」(p.30)、「恐怖を助長することに拠って創りだされる巨大な利益が存在する」(p.209)ときである。というわけで本書の1/3は行動経済学を引用した人間心理の解説で、残りの2/3はメディアの偏向報道とその事実検証が様々なトピックで延々と続く。

例えば豊胸材として使われたシリコンなどの物質が結合組織の病気をもたらすという話。これはほとんど根拠の無い狂騒としてアメリカを支配した。豊胸材を入れた人が結合組織の病気になることはもちろん確率的にありうることだ(p.142)。しかしそれが豊胸材を入れていない人の疾病率と有意な差があるのかについて検討されることはほとんどなかった。実際に病気になった人が印象的に取り上げられ、豊胸材メーカーは槍玉に挙げられた。FDAが1992年4月に豊胸材を禁止にするに至った。そして豊胸材メーカーのダウ・コーニングは破産した。最終的に豊胸材と結合組織の病気の間に因果関係はないという科学的結果が出て、FDAは2006年11月に規制を解除した。「反豊胸材活動家は怒り狂った。彼らは、シリコン豊胸材が致死性のものであることを依然として確信しており、納得させることはできそうにない」(p.155)。この先にあるのは陰謀論だろう。

またこうした事例としては9/11から始める「テロとの戦い」は典型的だ。時のブッシュ政権がいかに国民の恐怖を煽って、アフガニスタン・イラク戦争の支持を得たかは記憶に新しい。テロによってこうして恐怖に支配され、リスクを過剰評価することはまさにテロリストの目的そのものだ(テロリズムの「テロ」はterror(恐怖)のことだ)。テロリストがまた飛行機をハイジャックするとか、大量破壊兵器を入手するとか、実際にはそんなリスクは極めて少ない(p.428-430)。

恐怖を売り物にすることはメディアや政治家など、経済的利益や政治的名声を求める人間に特有のことではない。著者はNPOによる「善意で」恐怖を煽っている事例を取り上げる。彼らも自身への支持を増やすべく、ときには例えば貧困率のデータを偽装して誇張したりするのだ(p.217-220)。

別にごく僅かなリスクは無視して構わない、と主張しているのではない。ここにはトレードオフがあるのだ。新たなテロリストの攻撃とか、微量の発ガン性物質だとか、原子炉のメルトダウンなどのごく僅かなリスクに対して巨額の対策を取るよりも、遥かに少額で我々の生活を向上させることができる。また、こうした金銭的トレードオフだけではない。例えば、水道水に添加される塩素は水中の物質と結合して、健康リスクのある物質を生成する。では予防措置として塩素の添加をやめるのか。それはコレラなどの病原菌を蔓延させる、より高い健康リスクを生むだろう。一般家庭内にいる幼児は有害な化学物質を吸い込む。その中には例えばカーテンの難燃材があるが、では予防措置としてカーテンの難燃材を禁止すればよいのか。こうしたリスクを避けようとする予防措置が逆にリスクを高めるという事例は豊富にある。こうした予防措置は、それを取ることによって当該のリスクについて我々が考えることを免除してくれるので人気がある(p.361-367)。「臭いものには蓋」というやつだ。

さて本書はメディア有害一元論ではない。メディアは結局、我々の感情に同調して反映しているだけだ(p.305f)。もともとリスクに対する過剰反応するのは我々のシステム1なのだから。だが逆にメディアのもたらす暴力的なイメージは実例を与え、また喚起される感情が恐怖を強化する。こうしてメディアは利用可能性ヒューリスティックと情動ヒューリスティックを強化するわけだ(p.297)。

よく日本は場の空気に支配されるというが、こうしたアメリカの豊富な事例を見ていると、アメリカも特に変わらないのだなと感じる。とはいえ、ではどうするのか。パラドックスの解決に向け、どうするのか。著者が書いていることは、冷静に考えよう、ほぼそれだけだ。システム1とシステム2の思考結果が一致しなかったら、判断を遅らせ、立ち止まって冷静に考えること。つまりシステム2に従うこと。だがそれはとってもチープで、がっかりする結論だ。対策を練る才は著者にはないようだ。

「しかし、恐怖の回路を断ち切ることはできないかもしれないが、少なくとも音量を下げることはできる。その最初の段階は、リスクを誇張する独自の理由を持っている無数の個人と組織が存在し、そして、ほとんどのジャーナリストがこういった誇張を見つけて修正しないだけなく、自らの誇張を付け加えていると、単純に認めることである。懐疑的になり、情報を集め、その情報について注意深く考え、自分自身のために結論を引き出す必要がある。」(p.447)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会
感想投稿日 : 2015年2月5日
読了日 : 2014年12月19日
本棚登録日 : 2015年2月5日

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