「超越論的な理想」で神の存在証明の不可能性を論じる第六分冊。超越論的な神学を扱う下りで、初めはカントがID(Intelligent Design)を信奉しているのかと思ったが、よく読むと絶対存在の想定が自然科学の探究のために〈実践的な〉意義を持つ、ということが語られており納得。例え理性が構築した虚構であっても道徳的理念を実践する上での実用的な意義(統制的原理)がある、とする点には目的論と自然科学の調和の必要性を謳ったカントの先見性が垣間見え、流石と思わせる。
本分冊の神の存在証明のポイントは、存在証明の3類型、すなわち自然神学的な証明、宇宙論的な証明、存在論的な証明のうち、前2者は結局のところ存在論的証明の変形である、というところ。こうしてしまえば、「概念の存在が必ずしも実体の存在を導かない」というアクィナス以来の否定神学を適用することが可能になるからだ。
しかしここで行われていることが単純に神の否定というわけではないことも注意すべき。「神は存在する」という理論的な認識を証明することは不可能だが、その逆もまた然りである。理神論的な道徳神学の立場に立てば、「神は存在すべきである」という実践的な要請はアプリオリに想定される原理であり、人間の生き方や世界観に指針を与えるという統制的原理として有用なのだという。これが「実践理性批判」で定立される「道徳的命法」、すなわち「己の意志の格律が常に同時に普遍的立法となるように行為せよ」の基盤になっているのだろう。
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- 感想投稿日 : 2021年7月11日
- 読了日 : 2021年4月23日
- 本棚登録日 : 2021年5月2日
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