生命、エネルギー、進化

  • みすず書房 (2016年9月24日発売)
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著者はユニバーシティ・カレッジ・オブ・ロンドンに籍を置き、ミトコンドリアに関する幾つかの著書がある生物学者。彼によれば、生命を巡る種々な「重要な問題(The Vital Question…原題)」に対する答えは、細胞呼吸において重要な役割を持つミトコンドリアの「呼吸鎖複合体」がもたらす「プロトン勾配」にあるという。本書はその起源を探りながら生命が何故このようなアプリケーションを備えているかを演繹し、それが偶然でなく必然であること、ひいては地球外でも恐らく生命は我々に馴染みが深い形態を取るだろうと予告する。
「ぶっ飛んだ」とビル・ゲイツは驚いたらしいが、僕が得た印象はむしろ「目が回った」に近い。自分の身体を構成する40兆の細胞に1,000兆ものミトコンドリアが存在し、そのサッカー場4つ分の表面積を持つ膜上にある無数の分子ポンプが毎秒100回転しながら、ATPを細胞あたり1,000万個も消費している。それは単位あたりでは太陽のエネルギーをも上回るという。全く想像を絶する世界だが、それは間違いなく僕の身体で起こっていることなのだ。自分がとてつもない能力の無数の分子のモーターで駆動している…花や木も、目に見えない微生物でさえ、しかも20億年前にミトコンドリアの祖先が古細菌に潜り込んでから今に至るまで同じやり方で…という考えは目眩がするほど信じ難く、そして魅力的だった。
さほど長くはなく、最近の翻訳ものにありがちなくどいほどの繰り返しによる嵩増しもないが、訳者あとがきにあるようにこの種の一般向け科学啓蒙書としては例外的と言っていいほど専門的で難しい。当初原書で読み始めたが1/3で挫折、和書に切り替えたがそれでも読了に相当の時間を要した。たまたま直前に光合成に関する本を読んでいなかったら読了できなかったかも。

以下は要約というか覚書。僕の理解が浅い部分があるためやたら長くなってしまい、興味を削ぐうえに不正確である恐れがあるので、本書を読む用意のある向きは避けるが無難かと。

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第Ⅰ部「問題」
1. 生命とは何か?
ヒトを始めとする脊椎動物からアメーバのような原生生物まで、真核生物の生態は広範な多様性を持つが、その細胞は極めて似通った複雑さを有している。これは何故なのか?なぜ細菌や古細菌には同様の構造が見られないのだろう?複雑さの類似性は真核生物が単系統(起源がただ一つ)であることを示唆するが、ではなぜその複雑性は40億年の地球の歴史の中でただ一度しか起きなかったのか?
2. 生とは何か?
生命はその秩序の維持の為に、エネルギーの継続的な流れを必要とする。つまり、呼吸という不断の反応で酸素を燃焼させ、環境に熱を与えエントロピーを増大させなければならない。その為には予め環境からエネルギーを吸収し貯蔵する必要があるが、不思議なことに地球上のあらゆる生物は、その為のエネルギー通貨「ATP」の製造プロセスである「呼吸」において、膜を挟んだプロトン勾配を生み出す「化学浸透共役」を利用している。そしてこの機構こそが、真核細胞が出現するまでの事実上の制約条件として、細菌や古細菌の進化を阻んでいたのだ。

第Ⅱ部「生命の起源」
3. 生命の起源におけるエネルギー
生命が有機物を合成して細胞組織を生成するには、たゆまぬエネルギーの流れにより散逸構造を維持する必要がある。アミノ酸の「原始スープ」が稲妻や紫外線によりイグナイトされ組織化が始まったとする説はこの観点から否定される。まずエネルギーの流れが必要なのだ。さらに、炭素とエネルギーが効率よく代謝されるよう、触媒となる酵素に経路を集約するような物理的構造も。
著者はこれらの条件を満たす環境として海底から噴き出す熱水孔の一種である「アルカリ熱水孔」を挙げる。水素から電子を引き抜き(酸化)、二酸化炭素を還元し有機分子を生成するレドックス反応は、水素と二酸化炭素が互いに不活性であること、並びに還元された炭素(蟻酸イオンなど)が水素より還元されにくいことにより、通常は成立困難だ。しかしアルカリ熱水孔では、アルカリ流体とFeS鉱物の無機の薄い壁により、流体側で水素の還元電位を下げて酸化されやすくする一方、電子のみを海水側に受け渡して二酸化炭素の還元を促す。つまり、薄い半導体の壁を介した天然プロトン勾配が細胞を作り上げた可能性があるというのだ。つまり原始の生命を育んだ環境が現在も我々の微小な細胞膜の構造内に保存されているわけだ(ここに気付いた科学者の発想には恐れ入るばかり)。
4. 細胞の出現
複数の遺伝子情報から合成した系統樹によれば、細菌と古細菌はそれぞれの共通祖先から発生しながら互いに全く異なる酵素を持つ。しかしアセチルCoA経路という無機的な炭素同定回路は共通していて、これがアルカリ熱水孔と極めて類似した無機クラスタを持つという。アルカリ熱水孔では前章のプロトン勾配で生成した有機物が細孔で濃縮され、触媒として利用されて原始細胞を形成する。これはエネルギーの流れによる強制的なプロセスだが、原始の細胞は極めてリークしやすい膜を持つことでプロトン濃度勾配を維持し、これを対向輸送体(ナトリウムイオンとプロトンを交換する機構)でブーストして炭素やエネルギー代謝に利用していたらしい。この対向輸送体を備えたことにより、原始の細胞は熱水孔を脱し他の環境でも生存可能となった。
細菌と古細菌は、このプロトン勾配を利用した「化学浸透共役」を構築するにあたり、異なるオプションを選択した。これが両者の細胞膜の違いとなり、ひいてはDNA複製のあり方も異なる原因となった。

第Ⅲ部「複雑さ」
5.複雑な細胞の起源
真核細胞はサイズと複雑さの点で原核細胞を凌駕する。これは何故なのか?真核細胞の遺伝子が原核細胞とのキメラ構造を持つことなどから、真核細胞は古細菌に細菌が「一度だけ(従って連続細胞内共生仮説は否定される)」内部共生して生じたものだという推測ができる。細胞の構造の複雑さはこの化学浸透共役に内在するエネルギー上の制約とトレードオフの関係にあるが、原始の真核細胞はミトコンドリアの祖先を取り込みながらそのゲノムを縮小させることによりゲノムあたりエネルギーを効率化し、その制約を乗り越えているのだ。
《ここで少々わからなかったのは原始の真核細胞にとって、複雑性の要請が先であったのか、それとも内部共生による余剰エネルギーの存在が先であったのかということ。ニワトリか卵かの議論だが、著者は明確には述べていないように思える。》
6. 有性生殖と死の起源
では何故真核生物と原核生物はこれほど異なるのか。真核生物と原核生物の中間体が見つかっていないことから、原始の真核生物が不安定な小規模集団で急速に進化した可能性が示唆される。細胞内構造について全ての真核生物が同様の性質を共有していることもこれを補強する。明らかに、原始の真核生物は内部からのゲノムによる猛攻を受けていて、それに対処するため核膜などの真核生物特有の構造を備えるに至ったのだ。
有性生殖についても同様だ。有性生殖には、染色体ごとでなく遺伝子それぞれを自然淘汰の対象とさせることができるメリットがあるが、そのメリットを最大化させたのが内部共生体のもたらしたイントロンであり、その結果真核生物が多様性を獲得できたというのだ。
有性生殖についてはさらに、ミトコンドリアと宿主の利害の一致が指摘されている。ミトコンドリアが片親遺伝するのは、内部でのミトコンドリアの競合が宿主にとってコストだからという説があるが、著者はこれを否定し、その代わりに片親遺伝により受精細胞間のミトコンドリアのばらつきが大きくなり、自然選択が起きやすくなることを理由に挙げている。しかしこれが両親遺伝を凌駕するほど優位であることを示す証拠は得られていないようだ。
一方、ミトコンドリアは変異率が高いので、体細胞の細胞分裂でも分裂後の細胞におけるミトコンドリアのばらつきは増す。すると2種類以上の器官を持つ複雑な細胞では組織ごとの適応度に差を生じ、全体としての適応度が下がってしまう。これに対処するには、ミトコンドリアをなるべく多く卵細胞に詰め込み、その後の分配によるばらつきを小さくするという戦略をとる必要があるという。
つまり真核生物では、有性生殖により個体間でのばらつき増大による選択圧を高めつつも、ミトコンドリアの片親遺伝により個体内部でのばらつきを抑え適応度を高めるという「いいとこ取り」の戦略が取られているらしい。さらに、ミトコンドリアの変異率が高い高等生物は、卵細胞を発生初期から隔離保存して変異の蓄積を抑制しなければならないが、これにより不死の生殖細胞と使い捨ての体細胞の分化が進むこととなった。これらは全てミトコンドリアとの共生がもたらした影響なのだ《ここのところの理屈は極めて入り組んでおり難解。正しく理解できているかは自信がない》。

第Ⅳ部「予言」
7.力と栄光
呼吸系タンパク質はミトコンドリア由来部分と核由来部分からなるモザイクだ。これら2つが「共適応」しなければ細胞呼吸に致命的な支障が出る。ミトコンドリアは細胞呼吸の「ブロンズコントロール」に必要な最小限を除き、殆どの遺伝子を核に移動させてしまった。何故これほどまでに重要な機構が、核とミトコンドリアのそれぞれの遺伝子で別々にコードされているのか?自然選択が適切に機能するためだ。核とミトコンドリアの遺伝子がマッチしないと、レドックス中心が過度に還元され、フリーラジカルを誘導してアポトーシス(プログラムされた細胞死)を引き起こす。これが自然選択の一種として機能し、適応度の低い細胞は発生のプロセスから除かれるのだ。これはその一方で発生段階初期の胚の死を意味するため、繁殖率の低下というサブプロダクトを生じさせてしまう。
哺乳類の雄の細胞は一般に代謝率が高く成長も速いことから、性が温度、つまり代謝率により決定されている可能性がある。ここで、代謝の需要が高い細胞は呼吸鎖の処理能力を上回る電子を導入してしまい、アポトーシスに至ることを考え合わせれば、代謝率の高い性、哺乳類で言えば雄は生殖不能や生存不能となりやすいことが導かれる。
これを更に掘り下げれば、適応度と生殖率のトレードオフが明らかになる。即ち、有酸素運動を活発にする種、例えば鳥は高い代謝率を必要とするため、核とミトコンドリアの適切なマッチングを強く要請し、胚を選別するふるいの目はきつくなり生殖能力が下がる。ただし分化した後の細胞は個体内部ではミトコンドリアのバリエーションが均一となり病変を起こし難くなる。つまり寿命が伸びるのだ。これとは逆に、ネズミのような代謝が低い動物では核とミトコンドリアの共適応への要求水準が低く多産となるが、病変には抵抗力が低くなる。このように、核とミトコンドリアの共適応は「死の閾値」とでも呼べるものを規定しているのだ!
最後にやや付け足し気味に、フリーラジカルが老化を促すという言説の当否が検討される。フリーラジカルは呼吸能力低下のシグナルとして機能しミトコンドリアの合成を即す一方で、不適応なミトコンドリアを排除しているという。これによればこのプロセスを阻害するビタミン剤などの抗酸化剤の過剰摂取は害だ。ややこしいのは、フリーラジカルを多くリークするミトコンドリアほど呼吸不足のシグナルを発し自らのコピーを多く生むが、これは核ーミトコンドリアの不適合を同時に示すため、ミトコンドリアの能力低下により細胞死または変異の蓄積をもたらすという。つまり老化を促進するのだが、ということは世代を超えて高い有酸素能が維持されていれば(鳥のように)、長寿となりうるはずだという。つまり適度な運動は益となる。なぜなら運動は呼吸鎖における電子の流れを速め呼吸能を高め得るし、欠陥のある細胞を取り除くからだ《ここのところの因果も捻れまくっていてすんなりと頭に入ってこない》。

エピローグ
日本の沖合で日本の生物学者が発見した風変わりな微生物。一見真核生物だが、その構造に本質的な相違をもつこの不思議な生物が、実は最近になって細菌を獲得したばかりの原核生物であることを示唆することにより、著者は化学浸透共益=「生命のOS」が普遍的なものであり、宇宙のどこでも同様に繰り返し生じ得ることを示し、やや感傷的なトーンで本書は締めくくられる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 分子生物学
感想投稿日 : 2016年11月21日
読了日 : 2016年11月19日
本棚登録日 : 2016年10月27日

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