愛されたもの (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2013年3月16日発売)
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感想 : 12

 回想にはお誂え向きの時だった。それで、サー・フランシスは沈黙している番のときに、四半世紀以上も昔に還り、ツェッペリン飛行船の恐怖から永久に解放されて間もない、霧深いロンドンの街を彷徨っていた。
(p16-17)
物語の場所はロンドンではなくハリウッド。アメリカのイギリス人三人が話している。サー・フランシスとサー・アンブローズ、それに若い詩人でもあるバーローが給事している、そんな場面から始まる。二人のサー、フランシスが「老人」でアンブローズが「初老」とある。この二人が交互に何かを話している。
 仕事の中には、イギリス人なら絶対にやらないというのがある。
(p18-19)
サー・フランシスは若いバーローを家に泊めている。バーローは映画社を飛び出し、別の仕事に就いた。それをここでサー・アンブローズに暗に咎められている。
 シュルツ氏は給料を上げてくれ、青春の傷は癒えた。ここ静かなる地の涯で、彼はそれまで一度しか味わったことがない静謐な喜びを経験した。
(p35)
うちの会社にもシュルツ氏いないかなあ…
それはともかく、「静かなる地の涯」というのはテニソンの「ティトーノス」という詩から。詩人であるバーローは空軍の生活で「詩の愛好者から、詩の中毒患者に変えてしまっていた」。p25の注からすると、不死の元で最後には蟬に変えられてしまったティトーノスは、サー・フランシスの運命を暗示している、のだそうだ。
というわけで、バーローの今の職場、サー・アンブローズが「イギリス人は絶対にしない仕事」と言っていた仕事とは葬儀社のこと。でも、ペット専門の葬儀社みたいなのだが。一方、長年勤めていた映画社をクビになり、ハリウッドのイギリス人社会の創始者のような存在のサー・フランシスは自死したみたいで、サー・アンブローズの指示によりバーローが葬儀を取り仕切る(バーローがサー・フランシスの首吊り遺体を見た)…という幕開けの展開。
(そ言えば、シュルツ氏は最後まで給料上げなかった。ま、そんなものか)
(2021 01/22)

(昨夜読んだ分)
 デニスがメガロポリタン撮影所に初めてやって来て、スタジオの中を見回ったとき、よほど想像力を働かせないかぎり一見立体的に見える、あらゆる時代のあらゆる地方の街や広場が、実は裏で支えている広告板まがいの、漆喰を塗った薄板だとは見抜けなかった。ところがこの囁きの森では、まったく逆の錯覚が働いた。デニスには目の前にあるのが立体的でがっしりとした恒久的な建物だと信じるのにかなり努力を要した。
(p54-55)
デニス・バーローはサー・フランシスの葬儀の為に葬儀社囁きの森へとやってきた。彼のペット葬儀社の隣にある。
 彼女は規格品なのだ。ニューヨークの食料品店でこういう娘と別れたとする。飛行機で三千マイル飛んでサンフランシスコの煙草屋の店先でこの娘と再会ということになる。お気に入りの漫画が地方紙でかならず見つかるように。
(p71-72)
…という中で、この次に出てきた遺体整形係?の娘はそうではなく、バーローは気になる…

(ここから今日読んだ分)
 園主のケンワージー博士はいつも一流好みで、ジョイボイ氏は囁きの森にたいへんな前評判でやって来た。中西部で遺体修復学の学士号をとり、囁きの森に着任する前は何年間か、由緒ある東部の大学の葬儀学部で教鞭をとった。全国葬儀師会の大会実行委員長を二度務めたことがある。ラテンアメリカの葬儀師たちとの友好視察団の団長になったこともある。
(p87)
なんらかのパロディであることは確かだけど、なんだろう。ウォーを通して考えるならば葬儀というのを文学に変えるといいのかな。
 そして見えない目をじっとデニスに注いでいる顔-その顔はまったく身の毛のよだつばかりだった。亀みたいに不老で、非人間的で、彩られたにやにや笑いを浮かべる淫らな戯画-これに比べれば、デニスが首吊り縄にぶら下がっているところを見つけた、あの悪魔の仮面めいた顔など、お祭りの仮面、おじさんがクリスマスパーティにかぶる仮面も同然だった。
(p97-98)
遺体修復処理されたサー・フランシスを見たデニス・バーローの感想。
その後、サー・フランシスのオードを作ろうと囁きの森を歩く。湖の島に渡ったデニス(p110のこの島に墓所を求めた「果樹王」カイザーの商品の何か、「ぐしゃりとした甘い綿の玉のようなもの」というのも何かの象徴か)。そこで先述の遺体整形係の女性エイミーに、ここでは私的に出会う。
エイミーという名前に関する二つの鍵。
1、エイミーの父は宗教で破産したという。フォー・スクエア・ゴスペル教という、1920年代実在したアメリカ福音派の宗教で、教祖がエイミー・マクファーソンという。エイミーはこれに因んだ名前なのだが、破産後、父母も本人も名前を変えたがった…が、何故かエイミーのままになった。
2、エイミーのフルネームはエイミー・サナトジェナス…ギリシャ語のタナトス(死)とゲノス(種族)を掛け合わせた姓。名のエイミーはフランス語で「愛された(もの)」の意味。なんだ小説のタイトル(に通じる)じゃないか…
ということで、エイミーとデニスの間が動き出しそうなのだが、詩引用中毒者?デニスが「いくたびか/安らけき死に半ば恋しつつ…」と引くキーツの「夜鳴鶯に寄せるオード」がエイミーの運命を予兆している、と注にはある。前のティトーノスもそうだったけど、この小説、詩が作品の重要な蝶番的役割をしている。
(2021 01/23)

 東の空が明るくなった。地球の一日の回転の中で、この最初の新鮮な時間だけが人間の汚れを免れている。この地方では、人々は遅くまで寝ている。エイミーは無数の彫像がほのめき、白くなり、輪郭を露わにするのを恍惚として見ていたが、芝生は銀灰色から緑に変わった。彼女の心は感激に震えていた。それから突然、あたり一帯、目の届くかぎり、丘の斜面は光と無数の虹と点々と灯った炎の、揺らめく表面と化した。
(p190)
エイミーの自死の直前から。この前に古代ギリシャの情景が夢想され、もうエイミーの中ではデニスもジョイボイ氏も関係しなくなっている、ということから、彼女は現代ではない、どこかを目指していたのではないか。
それは、前にエイミーに贈られ、エイミーの葬式(というか遺体処理…囁きの森ではなく幸せの園(ペット専用))で一人デニスが引くこの詩にも呼応している。
 いにしえのニケの小舟か-(彼は繰り返した)
 優しくも 薫りの海を
 疲れたる旅人のせて
 ふるさとの岸に澪入りぬ
(p209 ポーの「ヘレンに」から)
しかし、彼はこれを再出発の基点とする。p136で、エイミーより詩のミューズに応えることが重要と言っているように、彼は(ジョイボイ氏から分捕った千ドルを元に)イギリスへ帰還し、作品を書く。多分それは「愛されたもの」というこの作品自体だろう。作品冒頭でこの作品が掲載された「ホライズン」誌と編集長コノリーの名前がそれを示している(というのは解説読んで知る)。
というわけで解説。
 作品は、デニスを通してスノッブ意識のさもしさ、厭らしさを見せつけた後、同じ構造のヨーロッパの優越意識のまやかしを示そうとしているかに見える。
(p217)
デニスとエイミーの関係は「ヘンリー・ジェイムズ問題」(作品内で直接言及あり)の図式だが、サー・フランシス、そしてデニスの経歴は裏返された「ヘンリー・ジェイムズ問題」と言える。そして、この作品書いたウォーとデニスが重ねられていることから、ウォー自身もそこから逃れられない、自分を含めた全体を嘲笑しようという意識があると思う。
(逆向きの「ヘンリー・ジェイムズ問題」についての作品は、この後1960年代に多数書かれたと、初版で出淵氏が書いているのだが、オリエンタリズムやポストコロニアル思想が全面展開している今日、それらに吸収されている、とこの文庫の解説で中村氏は述べている)
(2021 01/24)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 東京書庫箱16
感想投稿日 : 2021年2月13日
読了日 : 2021年1月24日
本棚登録日 : 2020年8月14日

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