火山の下 (EXLIBRIS CLASSICS)

  • 白水社 (2010年3月26日発売)
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感想 : 17

「火山の下」マルカム・カウリー
今日から「火山の下」を読み始めました。
時代&場所背景は1938年のメキシコ・クエルナバカ…変な名前の地名ですが、実在します。クエルナバカは本文中では旧名のクワウナワクになっています。ここのイギリス領事と別居中の妻…らを中心に「死者の日」と言われる(確か)11月始めの一日を細かに描いていきます…って、読み始めだから、それしかよくわからない(笑)。
20世紀って一日モノ?好きだね(笑)。
(2010 08/03)

ロードジムの後継者
「火山の下」第1章読み終わり。主人公?の領事はその昔第一次世界大戦時に捕虜のドイツ兵を船の炉にぶち込んだ…とかいう噂があって、それがロードジムになぞらえられています。こっちの主人公はあんまり良心の呵責を感じてない…と語り手(第三者)は言っていますが…どうでしょうかねぇ。酒びたりになっている理由の一つにはなっているとは思うのですが…
(2010 08/04)

「火山の下」は第2章。第1章の一年前の死者の日。領事ジェフェリーと帰ってきた(元)妻イヴォンヌ…「火山」がだんだん具体的描写で出てきます。
(2010 08/05)

 それにしても、美しい。すべてをぬぐい去ってしまうような破壊的なものを秘めているが、この美しさは否定しようがない。まさに地上の楽園そのものだ。(p14)
火山のこと?
第3章では今度は領事ジェフェリーの視点で。ジェフェリーの「超自我」的なものが「」付きで句読点なしで散乱していくのをたびたび見る。無意識ではなくて超自我というのも珍しい・・・かな?
(2010 08/06)

p116の()内はイヴォンヌと別れた直後のジェフェリーの行動がわかるだけでなく、この小説の標題「火山の下」という意味、またこの小説がダンテの「神曲」の地獄篇を意識して書かれたということが、伝わってくるところ。()を閉じて、現在の会話に戻るところはなんだか長いトンネルを読者も抜けてきたような感じで、そしてうまく繋がってなかなか巧みであります。
第4章は今度はジェフェリーの腹違いの弟ヒューの視点から。メキシコはこの時代(1938年)石油国有化を宣言し、施設所有者であった英米と対立関係にあった(その後大戦が始まるとそれどころではなくなるのだが)・・・ということがヒューの話からわかる。
(2010 08/07)

 この庭が好きですか?
 あなたのものですね?
 子供たちが荒らさないようにご注意ください! (p169)
第5章、ジェフェリーの庭の隣?の看板。この文句がなんだかだんだん強迫じみて変化し、領事の心の中にしみわたっていく。・・・でも、「庭」を地球とか社会とかいろいろに変えれば、現在の世の中にも通用しそう。
そいえば、第4章でヒューにさんざんカナダ・ブリティッシュ・コロンビアの悪口言わせているところがあったけど、この小説自体はまさしくカナダのそこで書かれたものなのなのだけれども。
(2010 08/09)

「火山の下」は第5章まで終了。酒びたりになるということは、自分の精神錯乱の様子を精密に観察できる…ということでしょうか?この領事の場合…
はい。
(2010 08/10)

 侵略者が、侵略されようとしている者たちを侮辱する貶めの言葉というものは、常に置き換え可能なのだ!(p308)
スペイン人がインディオを、インディオがスペイン人を「ペラード」という侮辱語で呼ぶというところから。この内容自体は半信半疑から2/3信1/3疑くらいに感じて読んでいたのだけれど、半ば唐突に現れるこの文章(そもそも、この小説内の文章で唐突に現れない文章などあっただろうか?)、ジェフェリー達に置き換えてみると「酔っ払い」とか「落伍者」とかいうことになるのかな。ジェフェリーだけでなく、イヴォンヌ、ヒュー・・・それからラリュエルも・・・ひょっとして、読者も?
(2010 08/19)

酔っ払いの文学
えーっと、コツコツコソコソ読んでる「火山の下」ですが、今日はまた領事の視点に戻り、どうやら酔いが回ってきたようです。なんだか、今まで飲んできた酒瓶やグラスなどをかき集めてきては割る…という夢?を見てたりします。こういう途方もない酔っ払いといえば、やっぱり(酔っ払ってなかったかも?)こちらも一日を拡大表現した「ユリシーズ」。というわけで、やってなかった、やらなきゃならない?二作品比較…
列車来そうなので、結論だけ書くと、「火山の下」は酔っ払いが精神研ぎ澄まして書く文学、「ユリシーズ」は酔っ払いのフリして書く文学。ということ…かなあ。どっちもどんどんあふれてくるんだけどね。
(2010 08/23)

同じコマの繰り返し
さっきまで、「火山の下」読んでました。いよいよ470ページ、終わりも近くなってきました。第12章では領事が「なんだか繰り返しの短編映画を見ているようだ」と感じています。読者としても、雄大なる長編小説というより、短編や詩のコラージュではないか、という感じ。それに対し、夜空の円環が表現されている前章。この二つは小説内の軸としてある…でも?、領事は「地獄」を選んだ…
この小説の一番のバックボーンはダンテなんだけど、「神曲」読んでないからなあ…
(2010 08/25)

上昇と落下(「火山の下」読了)
 今日一日に起こった出来事は、すべて自分がままよとつかんだ冷酷な一束の草、自分が落ちるときに一緒に崩れ落ち、いまなお頭上に降りかかってくる石のようなものだったのだ。(p476)
この小説は第1章以外は全て「一日」の拡大描写だったので、この文章は作品全体を貫く基本といってもいいかもしれない。ということは、この小説全体が「冷酷な草」であり、「振りかかってくる石」なのか?
ずいぶん厚い石だなあ・・・
と、それはともかく最後に2つの視点からみてみましょう、か。
1ジェフェリーとイヴォンヌ
第11章ではイヴォンヌが天上の天体に運ばれ、最終章ではジェフェリーが火山の頂きに着いたものの結局落下していく・・・という対照的な死の描写をしているわけなのだが、これ、じゃイヴォンヌが正しくてジェフェリーは正しくない・・・という単純なことで片付くわけではないだろう。じゃ、いったい「何」を?
2ジェフェリーとヒュー
ヒューに関しては特にこの後どうなったとかの記述はないのだけれど、なんとなくスペインの戦線かそれともスペインに向かう船上で命を落とす・・・のではないか、と想像してしまう。上(絶対者)からみると、政治的理想に頼ろうとしているヒューも、酒場という地獄?に賭けようとしているジェフェリーも、大同小異、両者とも児戯に等しいということにでもなるのかな? 1のイヴォンヌも含めて。ま、それが「人間存在」というヤツですかい・・・
(2010 08/27)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 東京書庫箱7
感想投稿日 : 2020年7月10日
読了日 : 2010年8月27日
本棚登録日 : 2011年3月10日

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