エンデュアランス号漂流記 (中公文庫 B 9-5 BIBLIO)

  • 中央公論新社 (2003年6月1日発売)
3.83
  • (23)
  • (41)
  • (30)
  • (5)
  • (0)
本棚登録 : 557
感想 : 50

南極探検というと、1911~12年のアムンゼンとスコットによる極
地踏破が有名ですが、シャクルトンはこの次の大きな探検目標とし
てクローズアップされていた南極大陸横断を企てた人です。しかし、
1914年に出航したエンデュアランス号は、南極大陸に到達する直
前に厚い氷に閉ざされてしまいます。その後、氷の圧力で船が砕か
れ漂流生活を余儀なくされるのですが、その漂流期間は何と22ヶ
月。本書は28名全員が奇蹟的に生還するまでの22ヶ月間の漂流生活
を、隊長であるシャクルトン自らが描いた異色の探検記録です。

希望に燃えて南極に向かったものの氷に閉ざされ船を失うまでが最
初のクライマックスです。その後、浮氷上の不安定な漂流生活から
エレファント島へと脱出するものの、絶海の孤島にいても埓が明か
ず、隊長以下数名が捕鯨基地がある南ジョージア島へと小さなボー
トで決死の航海を試みるまでが中盤。そして、何とか南ジョージア
島に辿り着いたものの、島の反対側に着いてしまったため、峻厳な
氷に覆われた島を何の登山道具も持たずに横断するという荒業に挑
む場面が終盤です。

数ある極限のサバイバル記録の中でも本書が卓越しているのは、シ
ャクルトンという希有な人物のリーダーシップを学べる点にありま
す。常に最悪の事態を想定しながら隊員の安全を最優先に考え、そ
の時々で最善と思われる判断を下す決断力。常に忘れない隊員達へ
の心配り。重大な決断をする時にも独断専行はせず、持てる情報を
開示し、全員の意見を聞こうとする姿勢。その底にある隊員達への
信頼。極限状態でもユーモアと祝福の儀式を忘れない人間味。そし
てどんな状態でも絶望しない超人的な克己心と忍耐力。

中でも印象的だったのが、最悪の事態を常に想定しながら持てる情
報を綜合して最善の判断を下そうとする姿勢でした。希望は常に捨
てないけれど、希望的憶測で判断はしない。こういう現実に対する
峻厳さに、欧米のリスクマネジメントの考え方の真髄を垣間見た気
がします。原発に対する日本人の姿勢の対極にあるものですね。

なお、この探検に当って、シャクルトンは下記のような新聞募集の
新聞広告を出したと言われています。

探検隊員求む。至難の旅。わずかな報酬。極寒。暗黒の長い月日。
絶えざる危険。生還の保証無し。成功の暁には名誉と賞賛を得る。

ほんの小さなスペースのこのぶっきらぼうな広告が、何と5000人も
の応募を集めたそうで、今だに広告人の間で語り継がれる伝説とな
っています。本書には出てこないエピソードですが、シャクルトン
の人柄がよく出ている広告だなと思いました。

およそ22ヶ月という長期にわたる絶望的な状態においても、人は前
を向いて生きることができる。そんな不屈の意志の記録です。
是非、読んでみてください。

=====================================================

▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

=====================================================

わたしは複雑な自分の胸中を、うまく書きしるすことができない。
航海者にとって、船は浮んだ家以上のなにものかである。わたしは
エンデュアランス号に、野心と希望と欲望をかけてきたのだった。
ところが、船は彼女の人生がこれからはじまるというときに、うめ
き声をあげ、船材を砕かれ、傷口をあけながら、いまその生命の感
覚を徐々に失おうとしているのだ。船はすでに、使いものにならな
いほどに粉砕された。

第一にせねばならないことは、探検隊の安全を期することであった。
そのためには、わたしは全身全霊をかたむけて、わたしの過去二回
の南極の体験でえたあらゆる知恵をしぼりださねばならないのだ。
これは長い困難な仕事になるだろう。しかし、もしわれわれが生命
の損失なく、これをやりとげようとすれば、秩序だった士気、それ
に整然たる計画をたてる必要があった。人は、ある事態がおこった
とき、古い目標をすてて、新しい目的にむかって全精力をかたむけ
て邁進しなければならない。

こんなときには、なにか心をとらえるもの、はるかな故郷や、故郷
の人たちの思い出となる品物が必要である。そこで、われわれは文
明社会でなければ用のない金貨などはすてて、家族の写真をたずさ
えることにした。

われわれは浮氷上の生活に甘んじてきたものの、上陸地点を発見す
るという希望をつねにいだいていたのであった。ひとつの希望が消
えくずれても、またつぎの希望をもやしてはがんばってきた。

人間という動物の味覚はなんでもおいしく食べられるようになって
いる、とわたしは考える。

わたしは、両肩にのしかかってくる責任の重さをひしひしと感じた。
だがその半面、わたしは隊員たちの態度に激励されもし、よろこび
もした。孤独は隊長たる者が当然うけるべき罰でもあるが、決断を
くだす者にとって、したがう隊員たちが彼に信頼を寄せ、命令が確
実に遂行され、成功さえ期待できるようなときには、大いに勇気づ
けられるものである。

最小限、食物と避難場所がえられさえすれば、人はなんとか生きの
びることができる。しかも、笑いを忘れない人間本来の姿があらわ
れるものである。

海はだれにも胸をひらいてくれるが、だれにも慈悲をかけない。お
となしそうにしていても無言のうちに人を脅迫し、いつも弱い者に
は無情である。

苦闘ののち、あらゆる物資をうしなったが、うわべの虚飾をつきや
ぶったのだった。探検隊は、「苦しみ、飢え、そしてよろこびにお
どり、南極の無辺の力に戦慄平伏しながらも、栄光をもとめようと
し、人間として、全体の偉大さにおいていっそう成長した」のだっ
た。われわれは、その偉大さのなかに秘められた神の御姿をみいだ
し、自然があたえてくれる教訓をきいたのだった。われわれは人間
のほんとうの魂にふれたのである。

あの長く苦しかった三十六時間にわたる南ジョージア島横断の行進
中、われわれは三人ではなく、四人いたのだと、しばしば思えてく
るのだった。このことについて、当時は同僚になにもうちあけなか
ったが、あとになってワースリィは、わたしに、「隊長、行進中に
われわれの他にもう一人いるような、不思議な感じにとらわれまし
たね」と語ったことがあった。

われわれは死の世界から、狂気の世界にかえってきた人間であるよ
うに思えた。(…)われわれが去ってきたつめたい氷の世界とはち
がって、戦争とはなんと陰惨で熱いものなのだろう!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●[2]編集後記

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

先日、チンパンジーの研究で知られる京大霊長類研究所の松沢哲郎
先生の話を聞く機会がありました。すこぶる面白いお話でした。

中でも興味深かったのは、チンパンジーは「今ここ」を生きている
というお話でした。とにかく眼前にあるものの認知力は凄いのです。
ほんの一瞬で状況を見てとり、それを記憶することができます。実
験映像を見せてもらいましたが、それは本当に驚くべき能力でした。

でも、「今ここ」にないものは想像することができないのですね。
例えば顔の輪郭の絵を見た時、人間の幼児であれば目や鼻を描き加
えることができますが、チンパンジーの場合はそうはならない。欠
如を補うとか、違う時空の世界を生きるとか、そういうことができ
ないのだそうです。逆に言えば、「今ここ」以外を生きることがで
きるのが人間の特徴だと言えます。「想像する力」が人間を人間た
らしめているのです。

そして、想像力があるからこそ、希望があり、絶望があるのだ、と
松沢先生は仰っていました。確かに、希望も絶望も、「ここにはな
いもの」をどう想像するかということに関わっています。まだ見ぬ
「ここにはないもの」を求めて前に進むのが希望であり、かつては
あった「ここにはないもの」に執着して前に進めなくなるのが絶望。
そんなふうに捉え直すことができるかもしれません。

だからチンパンジーには絶望がないのだそうです。「今ここ」しか
生きていないから余計なことは考えない。そういうチンパンジーの
生き方には「今を生きる」ことの大切さを教えられます。同時に、
人間の特権を十二分に生かそうと思ったら、想像力を絶望に使うの
は損で、希望のために使うべきだよな、と思ったのでした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 組織論
感想投稿日 : 2011年6月13日
読了日 : 2011年6月4日
本棚登録日 : 2011年6月4日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする