ゴジラが来る夜に 「思考をせまる怪獣」の現代史 (集英社文庫)

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  • 集英社 (1999年11月19日発売)
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文芸評論家の高橋敏夫氏によるゴジラ論であります。
この方はゴジラは好きだが、ゴジラ映画は嫌ひだといひます。本来ゴジラ映画が示したのは、「怪物が現れた、人間が変れ」といふメッセージを持つた人間世界の否定だつたのだが、後年のそれは、「怪物が現れた、怪物を殺せ」といふ物語に堕してしまつたといふことでせう。
核の恐怖を訴へた第一作のシアリアスさは何処へやら、人間の味方になつてお子様ランチ映画に堕落したと暗に謂つてゐるやうです。

ところで、よく指摘される事に、第5作の「三大怪獣地球最大の決戦」でモスラに説得されてから、ゴジラは善玉になつたといふのがあります(本書にもさういふ記述あり)。しかしそれは違ふとわたくしは思ふのです。映画を観れば分かりますが、ゴジラはモスラに説得されてをりません。
説得に失敗したモスラがやむなく、単身キングギドラに挑む姿を見て、闘争本能に火が付いた結果、ラドンと共にギドラに挑んだのであります。そこには、「人類の為に」などといふ視点は一切ないのであります。
個人的意見としては、ゴジラが正義の味方として描かれてゐるのは、12作目「地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン」と、13作目「ゴジラ対メガロ」の二作のみだと存じます。

まあいい。著者は日米によるゴジラ映画競作にも触れてゐます。しかし米国が原爆投下を正当化し続ける限り、納得のいくものは観られないでせう。米国ゴジラでは常に米国は被害者であります。
一方日本の作り手は、ゴジラ映画を作りながら、ゴジラといふ存在を持て余し、「ゴジラといふ存在から逃げ続けてゐる」と指摘します。言はんとすることは分かる。しかし現実には、大森一樹監督が語るやうに「ゴジラのためのゴジラ映画」よりも、「ゴジラといふ稀代のキャラクタアを使つて、どんな映画を撮れるか」と、作り手は考へるやうで。
その意味では、著者はその後も製作され続けたゴジラ映画には不満を抱いたでありませう。実際ゴジラと現代社会を論じながら、そこここに苛立ちを隠せない記述がありますね....

現在は初のアニメ映画化もされ(三部作のうち二作目まで公開)、米国でもシリーズ化(個人的には反対)が決まつてゐます。広がりを持つのは良いですが、肝心の東宝特撮としてのゴジラはどうなつたのでせうか?
「シン・ゴジラ」が予想以上に評判を取つてしまつたので、次の作り手たちは大変でせうね。

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読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 映画・TV・芸能
感想投稿日 : 2018年6月9日
読了日 : 2018年6月9日
本棚登録日 : 2018年6月9日

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