少年の名はジルベール

著者 :
  • 小学館 (2016年1月27日発売)
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本棚登録 : 714
感想 : 96
5

 すでに各所で評判になっている、少女マンガの大御所による自伝である。

 手に取った瞬間、「意外に薄いな」と思った。いまどきの単行本としては平均的な分量(240ページ)だが、竹宮惠子のキャリアからしたら、いくらでも重厚な自伝にできるはずだからだ。

 だがそれは、20歳での上京(マンガ家デビューは17歳)からの約7年間に的を絞ったがゆえの薄さである。それ以前の人生も、30代以降の人生も、サラリと触れられるのみ。上京から代表作『風と木の詩』の連載開始までの、人生でいちばんドラマティックな期間に照準が定められ、残りはバッサリと切り捨てられている。

 また、その間の出来事の中でも、伝説の「大泉サロン」でのエピソードにウエートが置かれている。
 ともに新人マンガ家であった竹宮惠子と萩尾望都が同居し、山岸凉子、佐藤史生、坂田靖子らが集い、「24年組」の拠点となったアパート。「女性版トキワ荘」ともいわれるマンガ史のレジェンド。その舞台裏を、最大の当事者である竹宮惠子が綴るのだから、面白くないはずがない。

 これは少女マンガ史の貴重な資料であり、普遍的な「表現者の青春物語」でもある。とくに胸を打つのは、ライバルであり親友でもあった萩尾望都の才能への嫉妬に苦しんだことを、竹宮が赤裸々に明かしている点だ。

 萩尾望都は表現者としてつねに竹宮の一歩先を歩み、竹宮は劣等感と焦燥感を感じつづける。そして、ついには大泉サロンから出て行くことを決意する。
 伝説の大泉サロンを終焉させたのは、竹宮惠子の萩尾望都に対する嫉妬であったのだ。そのことに、萩尾は気付いていたのか、いなかったのか……。

《私が実はもう下井草(東京都杉並区)に部屋を見つけていることを話すと、萩尾さんも「じゃあ、私も近くにしようかな」と言った。「それはいやだ」という言葉が頭をかすめる。萩尾さんが遊びに来れば、また焦りや引け目を感じるに決まっている。本音が言えないまま、「うん、そうだね」。私にはことが運んでいくのをどうしようもなかった。》

 なんとも切ない話である。
 萩尾望都が天才であるように、竹宮惠子もまた天才であり、だからこそ嫉妬が生まれた。はなから手が届かないほど才能の懸隔があったなら、嫉妬など感じもしなかっただろう。

 だが、その苦しみをバネとした竹宮の懸命の努力が、やがて『風と木の詩』による「少女マンガの革命」として結実する。その意味で、萩尾との共同生活は、竹宮が才能を開花させるために不可欠な“イニシエーション(通過儀礼)”でもあったのだろう。

 表現者としての苦悩と葛藤、そして歓喜が、丹念に書き込まれた第一級の自伝。マンガ好きのみならず、すべての分野のクリエイターおよび志望者に一読を勧めたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: マンガ(評論など)
感想投稿日 : 2018年10月2日
読了日 : 2016年2月29日
本棚登録日 : 2018年10月2日

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