先日読んだ夜間高校のルポ『若者たち』の類書といえる1冊。高校を中退していった若者たちの姿を追い、そこから日本の貧困問題を浮き彫りにしたものである。
『若者たち』に比べると、かなり評論寄り。聞き取り調査でつかんだ事実とそれをふまえた論評・分析が、おおむね半々の割合になっているのだ。
開巻劈頭の一行にいきなり「高校中退者のほとんどは日本社会の最下層で生きる若者たちである」とあり、「そこまで言い切るか」と驚く。だが、通読すればこの言葉に誇張がないことがわかる。
たとえば――。
《中退していく生徒の親の多くは子どもの退学をあまり引きとめない。私の聞き取り調査でも、多くの親から「どうせやめるなら、早くやめてほしい」という言葉がよく聞かれたのは、この「すべて公立」という最も安上がりのコースでさえ、(年収)四○○万円以下世帯の親にとっては、負担し続けることがむずかしくなっているからだ。》
《高校を中退した生徒は、小学校低学年程度の学力にとどまっていることが多く、小学二年生で学んだはずの算数の九九ができない生徒、アルファベットが書けない生徒はめずらしくない。》
「中退した若者たちの親もまた貧困の中で育ってきた。日本の貧困は特定の階層に固定化している」と著者がいうとおり、「格差社会」が流行語になるはるか以前から、日本はもうとっくに格差社会なのである。
登場する中退者の多くが「この先どうなってしまうのだろう」と不安になる暮らしぶりだが、ただ1人、居酒屋の店長として立派に働いている「哲」という若者の事例のみが、明るい希望を感じさせる。
では、「哲」はほかの中退者とどこが違ったのか? 著者は、「子どもがより良く育ってほしいと願う親と彼を支える兄たちの存在」「身近に生徒に寄り添っていこうとする教師がいたこと」の2つを要因として挙げる。
親から子への貧困の連鎖――それを断ち切るには、周囲の「経済的レベルだけではないサポート」と学ぶ意欲を育む環境が不可欠なのである。
本書は、高校中退者たちを通して日本の教育の底辺を見つめてきた著者が、独自の視点から展開した教育論、教育改革論としても読みごたえがある。
印象に残った一節を引こう。
《中等教育の役割は、社会に安定した中間層を形成することだったが、現在の新自由主義化した教育政策は、逆に中間層の解体を進め、貧困層を拡大している。「教育は国家にとって安くつく防衛手段」といったのは、一八世紀のイギリスの政治家エドモンド・バークだが、いまの大阪府では子どもたちの貧困は主要な政策課題になっていない。社会全体で救われ、守られた子どもたちは将来、社会のために働き、尽くす大人に必ず育つ。教育とはそれを信じることによって成立する人間の営為である。》
終章には、子どもたちを貧困の連鎖から救うための改革案も提示されている。
- 感想投稿日 : 2019年3月25日
- 読了日 : 2009年12月18日
- 本棚登録日 : 2019年3月25日
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