戦後日本のアイデンティティーが、時代の要請によっていかに「日本文化論」「日本人論」の言説として形作られ実践されていたのかが、丁寧に論じられています。
近代日本は、「西欧」という「他者」の認識なしに「自己」のアイデンティティを規定することができなかった... 読みながら、学部で習った「日本美術論」が「西欧美術」を鏡にして論じられていたことなどを思い出しました。こうした日本の自己認識、近代の政治的な構図は、日常生活の中に見られるあらゆる言説の前提として刻印されているように思います。
個人的にとても面白かったのが、1980年代になって、「日本文化」をめぐる問いが、「日本文化論」という現象をめぐる問いへと転換されたこと。「日本文化論」とは「事実」というよりも「願望」である、という渡辺靖の指摘を思い出しました。
また、ナショナリズムとしての「日本文化論」に加えて、大衆消費財としての「日本文化論」の側面が強くなってきたのが、1970年代でした。これに関しては、『文化ナショナリズムの社会学』(吉野耕作)で、より詳しく論じられています。「慰めの大衆消費財」と化した「日本文化論」が今日のメディアや市場に溢れかえっているのを見ると、当時の青木氏の警告を日本社会がどれだけ真摯に受け止めたのか、疑問に思うところもあります。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
学問
- 感想投稿日 : 2020年6月3日
- 読了日 : 2020年5月12日
- 本棚登録日 : 2020年6月2日
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