『ハウルの動く城』、ずっと観たことなくて、たまーに好きな人がいるので観てみた。
最後まで観たら、「ちょ待ぁてぇよっ!」とつい口をついて出るような映画でした。
事前になんとなく知ってた賛否両論、女ウケはそこそこいいけど男ウケ悪いってやつ、全くもってそのとおりやなと笑。序盤退屈、中盤めちゃおもろい、終盤「……。」みたいな感じ。
この映画、普通に作ってたらめちゃくちゃ良い映画になったはずなのに、なんでそれしないの?「あえてしてない」とかだったらくそダサいでしょ、それ。
しないんじゃなくてできないんだったら、ただの耄碌した老害なんだろうけど。
ポニョとか千と千尋がこの方向性なのはいいんだけど、ハウルでこれってのはほんとなんなんやろう?としか思えない。
中盤めちゃ面白いって書いたけど、良いとこもいっぱいあるんです。ビストロSMAPのシーンとかね、「近い近い近い!」みたいなね。最高。
で、恋愛もので、こういうとこ良いのに全然恋愛描ききれてねぇじゃん!!と。『風立ちぬ』で「いやそこがようやくスタートラインでしょ?」って思ったけど、この人はやっぱり恋愛を描くのは下手くそなんでしょうか?クラリスとか普通にできてたと思うんだけどなあ。
それよかなんで悪いか?って意見の方を聞きたい。
この話、学習性無力感の話なんだと思うんだけど。象に鎖つけるやつ。
ソフィーの方は女性の社会的地位や若さ、みたいなとこで「呪い」としてあって。
で、戦争の要素は宮さんが追加したらしいんだけど、魔法使いってのは何なのか?って言うと、アニメーター。イリュージョンを見せる自分たちの仕事。他の作品でも書いたけど。
その中でハウルは、アナキストというか。簡単に言えばパンクロッカーですよ。
そういうとこめちゃくちゃ良いのに、ソフィーもハウルも話の中で大して成長しないというか、自分で何か行動して獲得するみたいなことをほとんどしない。だからつまらん。
一応ハウルの方は戦争反対ってのはあるんだけど、やり方ちゃうやん。師匠(親みたいなもん)と対決して乗り越えたら終わるやん。それこそ、高畑さんと宮さんの関係、あるいは宮さんと庵野の関係みたいなもんじゃないの。
親が子離れしてないっていうのもあるのかも。
ダメなパンクロッカーがダメなまま終わるし、ダメなことを肯定してる。ガキのままで終わる。
ガキが観るガキの為の映画なのに、宮さんにはこういうことして欲しくないわけです。で、できなくなったんなら耄碌ジジイだろうと。ダメな自分を肯定するような。あるいは助けてって言ってるような。
『紅の豚』のポルコみたいなもんですよ。にしてもポルコの方がちゃんと行動してたと思うんだけど。
それもこれも、恋愛がちゃんと描けてればよかったんだけど、きっかけがヌルすぎて。ソフィーの方はほんと、ただキムタク好き!アイドル好き!ってだけで。ハウルの方はとってつけたような感じで。戦争が終わる理由もだけど。
あの中でちゃんと恋愛してたのは、美輪さん演じる魔女のババアだけなんじゃないの?あぁ、カカシもいたか。
ソフィーが恋に落ちた(?)とき、飛ぶんだけど。宮崎作品で「飛ぶ」ってのは重要で。
飛ぶやつと飛ばないやつがあるんです。飛ばない豚はただの豚だしね。ポルコはちゃんと自分の意思で飛んどる。
(追記で)今気づいたんだけど、ハウルが自分の意思で動かないのが心がなかったからとすれば結構納得いく。
要するにハウルに対しての呪いはカルシファーで。星(才能)を拾ってしまったが故にかかってしまった呪い、みたいな。そうするとのちの『風立ちぬ』とつながってくる。
でもやっぱりナルシストだよ、宮さん。
女性の地位、フェミな話だとすると、ナウシカとか戦闘美少女ものの原点みたいな感じで、ずーっときて’92年のセーラームーンがそれを倒すんだけど。リドリーの『テルマ&ルイーズ』が’91年だけど、時代的にも近くって。
で、ハウルでこんな内容だと、なんかもう時代遅れというか、遅い気がするんだけどなあ。
キャストでいうと、宮さんは島本須美をずーっと使いたかったと思うんで、ソフィーも島本須美がやりゃあいい気がするんだけど、たぶんダメだから倍賞姉で。
非声優、俳優を使うのも昔からのジブリの特色だけど、キャラの見た目をキャストに寄せてる気がしてて、そういうとこは良いなと。
で、成長しない主人公を助ける女性ってそれ寅さんとさくらじゃねえか!!
ていうことで寅さん観てからハウル観るのもまた一興でしょう。
あとあの犬はどう見ても押井にしか見えん。
- 感想投稿日 : 2017年6月28日
- 読了日 : 2017年6月23日
- 本棚登録日 : 2017年6月23日
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