愛の夢とか

著者 :
  • 講談社 (2013年3月29日発売)
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本棚登録 : 1267
感想 : 155
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私はこれまで、女性作家の小説というものをあまり好んで読んでこなかった。というのも、なんだか恋愛のゴタゴタを描くものが多くて、女流作家の描くものはなんとなく自分には理解できないものだという先入観が支配的だったというのが大きな理由の1つだった気がする。
 今年の春に、国際文芸フェスティバルというのに参加する機会があり、そのシンポジウムで川上未映子の話を聞いたのをきっかけに、彼女の考え方に興味を持ち、ヘヴンを読んで衝撃を受けた。まず、彼女の文章が持つ美しさ、繊細さに。そして、何よりパーソナルな問題に留まらない大きなテーマ性に。
 ほどなく、この新作短編小説が発売され、また新しい衝撃を受けた。
 
 7つのストーリーに貫通しているテーマは、パーソナルな小さな世界における別れである。最近に執筆された幾つかの話には、それぞれの世界の中でエピソード的に震災の出来事が挿入されるが、決して震災を経験しての劇的な世界の変化としては描かれていない。

 ささいな日常を、繊細な感覚で生きている人にとっては、別れの後には「記憶」という厄介なものと対峙しなければならなくなる。アイスクリーム、庭の植物、お気に入りの作家、三陸のほたるいかの船、心血注いで手入れした一軒家・・・それは、時間を消費し、忘れる能力を無意識に会得した人間にとっては想像もできない世界なのかもしれない。作者は、そうした記憶を形作っているモノや景色に細やかで生き生きした感情を与えていて、昔国語の授業で習った「擬人法」という手法の存在する意味を体感させてくれる。
 
 「十三月怪談」では死別をテーマに、生の夫と、幽霊(?)となった妻のパラレルワールドが描かれるが、これはまさに「記憶」の世界である。平野啓一郎的には「死者との分人」。死後を生きる遺された者にとっての「死者との分人」が、不可避的に小さくなっていく日常を見守る妻の言葉が、徐々に感情のみが短いひらがなのみで紡がれていくのは、これぞ女流作家の美しさだ。
 「お花畑自身」では、まさに自分の庭の土と生きながらにして同化していき、「十三月怪談」では、愛した人と同化していく。死や別れが描かれているのに、美しい文体と繊細で愛情あふれる描写が、「開かれた終わり」を強く読者に印象を与える。そんな、「薄れ行く記憶の根っこにあるもの」は、言語化しがたいものであればこそ、小説のテーマとなっているのであろう。
 一緒に暮らしていれば、お互いの所作や匂いが似てくる。そんな日常をおかしみながら大事に記憶に焼き付けていく。それが、「新たな震災前」を生きる私たちなのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2013年4月19日
読了日 : 2013年4月19日
本棚登録日 : 2013年4月2日

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コメント 1件

meguyamaさんのコメント
2013/04/19

「十三月怪談」で「同化」って感じられたところ、面白い視点だなと思いました。わたしは気付かなかったので、いずれまた読み返してみたいです。

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